開いた瞳で見る夢は 1
「和葉ちゃんならここにはおらんで。」
「・・・何も言うとらんがな。」
帰宅後、ちらりと台所をのぞいただけで、
振り返りもせずにそんな言葉を発する母親に憮然とする。
玄関にきちんと揃えて置かれたローファーに、気づかない訳ではなかったが。
「へえ、そんなら手伝いでもしてくれるん?
普段なら素通りやのに。」
言いながら、くるりと振り返った母親は、
左手に軍手をはめ、右手にはナイフを所持している。
和装、というのが殊更不条理さを増幅させていた。
「・・・・・・何食わすつもりやねん。」
「ああ・・・サザエご飯しよ思て。」
言って、大振りのサザエを微笑と共に掲げて見せる。
なるほど、サザエの身の取り出し作業かと、
母親の奇怪な格好に合点が行く。
先日、和葉の家が知人から貰った物を裾分けされたのだ。
「せやから、和葉ちゃんは私のお客さん。
お礼に夕飯食べて貰おうと思うてな。学校帰りに寄って貰たんよ。」
「はん。」
同じ家に帰ると言うのに、自分には何も言って来なかった。
そんな些細な事を気にかけている自分に追い討ちをかけるかの様に、
わざわざ自分の客だと、どこか誇らしげにのたまう母親に、自然と口角が下がる。
「で、その大事な客は何しとんねん。」
「ああ、こたつで話しとったら、疲れてたんか、席外したちょっとの間に寝てしもてな、
ご飯までそのままにしといたろ思て、横にしといたから起こしたらあかんで。」
「・・・誰の家やねん。」
呆れた様につぶやきつつも、
「こたつなんかで寝とったら風邪引くやろ。」
と続けて、台所を後にしようとする。
現実的な面では、静華より平次の方が保護者らしい。
「起こすんなら、それも構わんけど・・・。」
静かにそうつぶやいた後、
去りかける息子の背後に、いつの間にかその母親は音も立てずに歩みより、
鋭く一言、こう付け加えた。
「相当、可愛いで。」
「・・・・・・。」
時々、というか、常々、
自分の母親が何を考えているのかわからない。
古来の建築技術にのっとった日本家屋ながら、
服部家の冷暖房完備は万全である。
故に、本来ならこたつの類に頼る必要はまったくないのだが、
家人がくつろぐ南向きの一間に、毎年その姿がきちんと登場するのは、
知人の娘が自分の家にはないからと、
幼い頃からその存在を重宝しているという理由に尽きる。
母親との会話に気疲れしつつも、
律儀に部屋に向かった平次が襖を開ければ、
その知人の娘はお気に入りのその場所で静かな寝息を立てており、
眠りを妨げる者など、まるで予期せぬ安らかなその寝顔に、
平次は軽く肩をすくめつつ近寄った。
普段から、猫の様な性質のある幼なじみだが、
こんな姿を見るとつくづくそう思う。
それは単純に、猫とこたつの出て来る童謡からの連想ではなく、
人の気を知らない。
そんな考えからの発想による。
所構わず寝くさりよって・・・。
静華の言葉の裏づけを得るより先に、
無防備なその姿を苦々しく思うものの、
普段から、場所や時間を選ばず寝ついてしまう和葉に、
平次が苦言を漏らす事は案外少ない。
自分が側にいるのなら一向に構わないし、
肩を貸すのも大いに構わない。
だが、他の人間に隙や寝顔を見せるな。
自分に対する依存心を引き止めつつ、
他者への警戒心を高める。
そんな言葉を、自分の気持ちを悟られぬままで、巧みに伝える術を知らないのだ。
「おい・・・。」
若干の葛藤の後、今は起こす事が先決と、
眠る和葉の真横へとしゃがみこみ、
揺り起こそうと、その身を和葉へと近づけた平次だったが、
次の瞬間、その声に反応してか、
横にしていた身を仰向けに寝返らせた和葉により、
先刻とは比較にならぬ程の葛藤に襲われる事となる。
「ん・・・。」
突如として仰向けになった和葉に平次が注意を奪われたその瞬間に、
あろう事か、寝入ったままの和葉は、
近づく気配に反応してか、その温もりを求める様に投げ出していた両手を伸ばすと、
突然の出来事に対処出来ないでいる平次の体をしっかりととらえ、
そのまま、自分の方へと引き寄せた。
ある意味での、服部平次、最大の危機の到来である。