桜の予感 3
もう・・・。
一人になった帰り道、先程の皐とのやり取りを思い出し和葉が唇を尖らせる。
鋭い部分がある反面、てんで見当違いな事を言い出す事もあるから困ったものだ。
そんな訳、ないやん・・・。
平次の志望校の事も、考えなかった訳ではない。
けれど、はっきりと和歌山に行くと告げた皐に比べれば、
それはどこか漠然とした、現実感のない出来事の様に思えた。
東京に行くかもしれないと、皐の様に平次に関する噂話を耳にする事はあっても、
平次に確認する事はなかったし、
毎日の様に顔をつき合わせて、様々な言葉を交わしつつも、
まるで二人の間に見えない不文律があるかの様に、
お互い、進路についての話を出す事はなかった。
平次の方は、そんな話題に、和葉の事に、興味がないだけなのかもしれなかいが、
和葉の気持ちははっきりしている。
平次の口から、決定的な言葉を聞くのが怖かった。
皐の話が出た時は、悲しがる友達をなだめる役に回ったせいか、
皆の前では平静を保てたものの、
一人になった途端、どうしようもない程の寂しさがつのった。
困らせるだけだからと押し込めていた感情は、
先程、結局白状する形になってしまったけれど、
あの日、誕生日に皐から貰ったフラワーペタルの入浴剤を入れた浴槽につかりながら、
一人、泣き出してしまった事は一生の秘密だ。
もし、平次の口から「東京へ行く。」と話が出たら、
自分はどうなってしまうのだろう。
ずっと避け続けて来た、その先の事を考えようと心を巡らせたが、
そんな決定的な言葉をも、用足しに行くのと変わらない、
至極あっさりとした表情で告げる幼なじみの顔が先に思い浮かんでしまい、表情が引きつる。
人の気も知らんと・・・。
勝手な想像ではあったが、そんな事を考えて、
和葉は深く、息を吐き出した。
「何や、辛気臭い背中しよって。」
息を吐き出した事により、やや下降した背中を、ふいに叩かれる。
「へ、平次。」
「何やねん、変な声出して。」
急な幼なじみの登場に驚く和葉に、
帰り道が重なる事などさして珍しくもないと言わんばかりに平次が聞き返したが、
本人を前にして、「あなたの事を考えていたからです。」などとは言える訳がない。
「急に叩くからや。」
と、怒った様に切り返して、和葉は平次の疑問をやり過ごした。
「辛気臭い女に喝入れたっただけやろ?」
「別に辛気臭くなんかっ・・・。」
否定を口にしようと意気込んだが、
何を思って、傍目にわかる程の消沈ぶりとなってしまったのか、
その存在を前にして、和葉の瞳が揺れた。
「・・・辛気臭い事なんかないわ、アホ。」
一瞬、そんな和葉を訝しむ様に見つめる平次の表情に気が付いて、
気を取り直す様に眉をしかめて悪態をつく。
「何がアホやねん・・・。」
そんな和葉に、平次はいつもと同じ様に言葉を返したが、
この先、似た様な事があっても、こうして誤魔化すのだろうかと、和葉の瞳は改めて揺れた。
「・・・・・・。」
自分でも短気だと感じる性分の元、
いっそ、胸の内に抱えた疑問を、今ここで切り出してしまった方が良いのだろうか。
他者のいる状況で告げられるよりも、今この場で、
二人きりの状態で告げられた方が、事後処理は楽な様に思えた。
「そうなんや。」と軽く笑って、
表面上は軽く笑って、
後は、家に帰れば良いだけなのだから。
「あ・・・。」
勇気をふるって、和葉が会話のきっかけを口にしようとした時である、
「せや、何やおかんが貰いもんの菓子がぎょうさんあるから、
和葉呼べってうるさかったんや。このまま寄るか?」
そんな和葉の内情を知る由もない平次が、思い出した様にそんな話を切り出した。
「あー、うん。」
気勢を削がれた和葉の、気の抜けた言葉が宙をさまよう。
そう言えば、ここの所何かと忙しくて、服部家には顔を出していない。
平次に用がなくとも、自分には会いに来て欲しいと子供の様にねだる静華を思い出して、
「おばちゃんが呼んどるんなら行く。」
と、多少可愛げのない返答を返すと、
「へいへい、アホの館にお一人様ご案内。」
と、平次も先程の和葉の悪態を絡めた憎まれ口でそれに答えた。