宵待草の花の色 4


        「な、何でやねん、謝ったやんけ!!」
        安心しきっていた所を、一気に崖下に蹴り落とされた様な不意打ちをくらい、
        平次が動揺する。
        「それはあんたの妙な言いがかりの分やろ?
        その前に何したか、忘れたとは言わさんで。」
        確かに、誤解が故に和葉に言ってしまった言葉については詫びたものの、
        今日の、日付的には前日の一件については一言も触れていない。
        それ程に、動揺せざるを得ない事態が起きたからなのだが、
        和葉にしてみれば、それはそれ、これはこれと、
        服部平次、二つの罪は別物でしかない。
        今日は遅いからほなさいならでは、お互い気分が悪いのはわかっている。
        充分に長期戦な話が、更に長引く事を考えて、
        平次は二人の家に続く道から少しコースを変え、和葉を近くの公園に促した。


        「工藤君と・・・・・事件・・・。」
        すべてを詳しく話す事は出来なかったが、
        工藤が巻き込まれている事件絡みでやっかいな出来事が持ち上がったから東京に行き、
        そこでまた、新たな殺人事件に遭遇した事をかいつまんで話すと、
        ベンチに腰掛けた和葉は、目を丸くして、立ったままの平次を見上げてそうつぶやいた。
        もっとマシな言い訳をしろと罵られてもおかしくない、
        そんな非日常的な出来事の連続だったが、
        今までの幼なじみの遍歴を嫌と言うほど理解している和葉は、疑う様な事はせず、
        「そんで、ケガとかせぇへんかった!?」
        と、怒っていた事も忘れ、ベンチから立ち上がると、
        平次の服をまくり上げかねない様な勢いでそう尋ねた。
        しばし面くらい、無事である事を告げて和葉をなだめるのには時間がかかったが、
        自分の心配をするその表情に、笑みがこぼれそうになってしまうのは不謹慎だろうか。
        「・・・あんたはすぐ直情的になって、周りが見えん様になるから・・・。
        でもまぁ、事件解決おめでとうさん。」
        なだめる平次に、我に返って、少し気恥ずかしげにそう言うと、
        和葉は笑顔でそう続けた。
        「・・・解決したって、言うたか?」
        「平次が・・・平次と工藤君がおったんなら解決したんやろ?」
        事件に遭遇したとは言ったが、全貌は告げていないので、不思議そうに平次が問い返すと、
        何を当たり前の事をとでも言う様に、和葉がきょとんとする。
        平次が、と言いかけて、工藤新一の名を連ねたのは、彼女なりの照れ隠しではあったが、
        そうとは気づかずに、俺一人でも解決出来たわと口の中でつぶやいて、
        それでも、和葉が探偵としての自分に寄せる、絶対的な信頼に、平次の頬は熱くなった。


        「ま、今度ゆっくり話聞かせてな。」
        星明かりと、公園内の照明のささやかな明かりの下、
        自分を見上げて、小さく微笑む、その表情と、
        「今度」という言葉に、心底安心しつつも、
        「・・・もう怒っとらんのか。」
        そう聞いた平次はひどく臆病だった。
        「・・・まぁ、あたしも刑事の娘やし、
        そういう事情に対していつまでも文句は言いたないわ。」
        幼い頃から、職業上、家族団らんよりも職務を優先して来た父、
        けれどそんな父を誇りに思って来た和葉には、平次の行動も理解せざるを得ない。
        何よりも、今後、平次から事件の全貌を聞くにあたって、
        話が解決に差し掛かった瞬間には、
        平次のあの、生き生きとした表情が見られるのだろうかと、胸を踊らせている自分には、
        表面上はあっさりと、そう言ってみせるだけで精一杯だった。
        そう言葉を切ると、ふいに香の事が思い出された。
        ただ泣く事しか出来なかった香。
        きっと香もわかってはいる。
        でも女の子は感情のコントロールが苦手な生き物だ。
        相手が好きな人なら尚更で、それは相手に送る、信号の様なものなのだろう。
        あの涙はワガママだけのものじゃない、
        我慢とか、理解とか、想いとか、未来とか、きっと色々なものがつまっている。

        嫌いやったら、あんな色んなもんのつまった涙、流さへんよ。
        香を慰める、そんな一言が思い浮かんで、和葉は目を細めた。
        と、同時に、恋人同士と幼なじみ同士と、立場の違いこそあれ、
        似た様な境遇にあった自分の態度が思い起こされる。
        ・・・怒ってばっかやん。
        思えば子供の頃も、約束を反故にした父親の事情をわかってはいても、
        よく怒っていた様な・・・。
        あかん、成長しとらん上に、かわいげまで無いわ・・・。
        香のひそやかな涙とか、
        たとえば蘭だったら、気にしないでと切なげに微笑んだりするんだろうかとか、
        そんな様子を想像してみたりして、可愛いと思うと同時に、
        自分とのギャップに頭を抱えてみたりする。
        「おい!!」
        「へっ!?」
        「何黙りこんどんねん、ボケたんか!?」
        「ちょっと考え事してただけや!! ボケとらんわアホ!!」
        つい大声で言い返してしまって、
        原因は自分だけに無い・・・と、必死に言い聞かせる事で、
        和葉は何とか、落ち込みの端から自分を救った。
        「こっわー、まだ怒っとんな。」
        和葉の応酬に、いつもの調子を取り戻し、冗談めかして平次がそんな台詞をつぶやくが、
        今の和葉に、「怒ってる」は禁句である。
        たちまちムキになって、
        「怒っとらんよ!!」
        と、言い返して来た。
        「怒っとるやん。」
        「怒っとらんってば!!」
        言い返す和葉の様子がおかしくて、平次はからかいを増そうとしたが、
        「・・・怒っとったけど、
        あたしとか、いつでも会えるし、
        そういう約束より、友達が大変なの優先する平次のが・・・
        平次らしいと思うからしゃあないわ。」
        怒ってばかりではいけないと反省して、
        顔を真っ赤にしてうつむいて、思っていた事を素直に口にして、
        最後は困った様に笑ってみせた和葉の言葉と表情は、
        平次に二の句を告げなくさせるには充分で、
        平次は開いた口を閉じる事も忘れるという、いささか間抜けな表情で、
        それらをきちんと記憶する作業を行った。

        「・・・そもそも、あたしが怒っとったんは、
        連絡もよこさんかった事と、あの電話や。
        今度やったら許さんからな!!」
        黙り込む平次に、和葉は再び声を張り上げて指を突きつけた。
        素直なままで幕を引く事が出来ない。
        そんな自分を反省しながら。