宵待草の花の色 2
「いらっしゃいませ、こんばんは。お一人様で・・・。」
明らかに一人で入ってきた少年に、マニュアル通りの挨拶を始めつつ、
きゃー好みのタイプやん、などと、
深夜のバイトの潤いを見い出したかに見えた大学生のウェイトレスは、
その少年の剣幕に絶句した。
「あ、あの・・・。」
慌てるウェイトレスにその少年は、
人数も、喫煙禁煙も、ドリンクバーの場所はとも言わず、
ついでに彼女には目もくれず、物凄い勢いで店内を突っ切り、窓際の席へと向かった。
待ち合わせ・・・とは言い難い雰囲気で、
彼は先程から深刻そうに話していた高校生らしき二人連れ・・・二人だったろうか?
の席へと辿り着く。
修羅場ってやつかいなーと、彼女の好奇心は煽られたが、
その好奇心も、厨房から上がる、
びっくりカツカレーとヤングハンバーグ御前の出来上がりの音に一気に削がれた。
つい先日も、来店した友人との語らいに気を取られてオーダーミスをし、
ついでに後輩に強引なシフト交代を頼んでいた事が発覚し、
店長から次に何かあれば時給ダウンと言い渡されたばかりなのである。
目先の騒動よりは自分の時給と割り切って、彼女は厨房前へと向かった。
ささやかな時給のおかげで、好奇心旺盛なウェイトレスの気はそがれたが、
深夜とはいえ、駅前のファミレスには十人前後の客が点在している。
それらすべての視線を集め、平次は窓際の席で会話を続ける和葉と、
同じく高校生らしき少年へと近づいた。
「平次!?」
話し込んでいたせいか、店内の人間より気がつくのは遅かったが、
それでも窓側を向き、平次が入って来た方向に背を向けていた少年よりは速く、
和葉が驚いた声を上げ、立ち上がる。
しかし平次は何も言わず、立ち上がった和葉の手をつかみ、
そのまま強引に自分の方へと引き寄せるときびすを返し、出入り口へと歩き出した。
「なっ・・・ちょっ・・・!!」
平次に引きずられる様な形になりながら、
和葉はまったく事態が飲み込めず、自分でもよくわからない声を上げる。
「や、柳沢君・・・。」
何とか振り返って、先程までの対談者の名前を呼んだが、
途端に自分の手を握る力と引く力が強まったのは気のせいだろうか。
名前を呼ばれた少年は、突然起きた事態にどうして良いかわからず、
和葉を連れ去ろうとする少年を呆然と見やり、
刹那的に合ったその視線に、一瞬で気圧された。
「あ・・・遠山さん、ごめんな、ありがとう。
今日はもうええから・・・出しとくし。」
途切れ途切れに単語のみでしゃべった様な言葉を告げる。
事態がわからないまでも、止めてはいけない何かを、本能が感じ取った。
もっとも、止めていたらタダでは済まなかった事から、彼の咄嗟の判断は正しかったと言える。
「あ・・・ちゃんと、電話してな?」
入り口に差し掛かりながらも、和葉は元いた席に向かって声を張り上げた。
それが、自分の手を引く人間の、更なる怒りを煽る事になるとは気づかずに。
カウベルの音を響かせて、路上に出た今でも、
自分の手を握る平次の手の強さと、歩く速度は揺るがない。
「ちょお、平次!! 離してぇな・・・怒るで!!」
「怒るんはこっちや、お前一体何してんねん!!」
春先とはいえ、星空の下を流れるやや冷たい風に、
少しばかりの理性を取り戻しかけたものの、
人気のない路上に響く和葉の声に、平次も負けじと声を張り上げる。
ようやく足を止め、自分へと振り返った平次を睨み返し、
和葉は自分の手を握る平次の手を、思い切り振りほどいた。
「それこそこっちの台詞や!! 自分の事棚に上げて人に説教するやなんて、
東京行っとる間に随分偉なったもんやなぁ!!」
「アホ抜かせ、その間にアホな娘がアホな男に引っかかった言うて、
お前の親父に怒られんの誰や思てんねん!!」
和葉の台詞に、自分の所業を思い出しかけたものの、
一度熱くなった感情は、簡単には冷静さを取り戻さない。
見事なまでの売り言葉に買い言葉だったが、
それでも、
あいつは誰だとか、こんな時間まで何してたとか、
あれからずっとあいつといたのかとか、まだあいつといたかったのかとか、あいつは誰だとか、
自分からの電話は受け付けなかったくせに電話してって何やねんとか、
携帯番号教えたのかとか、あいつは誰だとか、また会うつもりなのかとか、
自分が現れなかったらまだあいつといるつもりだったのかとか、あいつは誰だとか、
言いたい事、聞きたい事の半分も聞けず、
ただ単に、幼なじみとしての義務感や、
相手の親に対する責任だけを口にしている自分がいる。
先程は、和葉が見知らぬ男とこんな時間に一緒にいるのを見ただけで、
一気に頭に血が上り、何をどうしたのかも記憶に無く、
ただ和葉をあの場所から、あの男の前から連れ出す事しか考えていなかったのに、
今はやや、気持ちを隠す冷静さが戻って来たという所だろうか。
もっとも、今の冷静さがあれば、相手の男は黙殺だけでは済まなかっただろう。
「・・・・・・っ!!」
平次の心の葛藤になど気づくはずも無く、
平次の発した言葉のみを受け止めて、和葉は一瞬下を向き、唇を噛みしめた。
そうして、次の瞬間には、意を決した様に物凄い速さで顔を上げ、
同時に、恐ろしいまでに見事な蹴りが、平次のスネを直撃する。
「でっっ!!」
西の名探偵であり、全国でも五指に入るとされる剣士である彼も、
この一撃はまったく予想外だったのか、避けきれず、
武道をたしなんだ者が故の、容赦の無い蹴りに、声にならない声を上げた。
「なっ・・・にさらすんじゃコラァ!!」
痛みは目下継続中、今後も続くのは必至だったが、
仮にも女の、それも和葉の蹴りで、すぐには声も出せない様な事態に陥ったとは悟られたく無い。
全神経を必死に足から遠ざけて、平次は怒鳴り声を上げた。
「男に引っかかったやて? ほんならあたしがどっかのアホ待ちくたびれて、
ホイホイ男についてったとでも言たいん? 随分安ぅ見られたもんやねぇ!!」
「・・・・・・。」
思っていない、思ってはいない。
自分の幼なじみはそういう女では無い。
けれど街で集める注目や、それに対する無自覚さや、
いつだったか、友人達が話題にしていた、
失恋した女や男にすっぽかされた女は引っかけやすいとか、
そんな事柄が頭を巡ったのは事実で、それ故の心配は仕方ない事では無いだろうか。
重ねて、先程のあの光景である。
「・・・ほなな。」
黙り込んだ平次を一瞥して、一言そう告げると和葉は歩き出した。
夜気に溶け込みそうな程静かな一言が、彼女の怒りの深さを感じさせる。
「待てや。」
「ついて来んな、アホ。」
スタスタと、恐ろしいまでの早歩きで夜道を歩く和葉に、痛む足で追いついて並び、
親の敵でもいるかの様に、前方を睨んで歩く彼女同様、
前を見つめたまま、平次が横から声をかけるが、取り付く島もない。
嫉妬して、馬鹿な言葉で怒らせて、蹴りを受けて、その相手を追いかけて。
まだ何度も電話をかけていた時の方がマシなのではと思える程、
今の自分の状況は、男らしくない事極まりない上に、情けない事この上無い。
それでも、
「・・・悪かったから、待てや。」
先程とは裏腹に、壊れ物でも扱う様に和葉の二の腕をつかみ、
平次は、思いの外真摯に、そう謝罪した。