気づかず優しく 3
「ん・・・。」
どれくらい眠ったのだろう。
さほど時間は経っていないとは思うが、
よほど深い眠りについていたのか、帰宅時よりも幾分体が楽になった様に思える。
覚醒しかけた意識でそんな事を考え、
一端起きようと考えた平次は、
自らの頭が、何か暖かく柔らかな物の上に乗せられている事に気がついた。
何や、これ・・・。
枕を敷いて寝たかと、眠りにつく前の状況を思い起こしつつ、
手の中にあるその感覚を確かめる様に右手を動かす。
「ひゃっ・・・。」
ふにゃりと、指先に感触が走ると共に、
自分以外の声が暗闇に小さく響いて、
平次は様々な驚きのあまり、一気に覚醒した意識の下、
物凄い速さでがばあっと身を起こした。
「なっ・・・んっ・・・!!」
いくら探偵業に身をやつしているとはいえ、
命を狙われているかの様な俊敏な動きで立ち上がり、
自分の寝ていた場所を見下ろすと、
そこには、暗闇にもそれとわかる程、顔を真っ赤にした和葉が、
横座りの体勢のまま、怒った様な表情を浮かべて、自分を見上げていた。
「かっ、和葉・・・お前、何しとんねん。」
「・・・な、何って、平次が、人の膝の上に・・・の、乗って来たから・・・。」
平次の疑問に対し、和葉はうつむくと、至極言いにくそうにそんな言葉を口にした。
「な・・・・・・。」
膝の上?
和葉の言葉に、先程の目覚めの際の感覚を思い出す。
・・・・・・という事は。
自分は、今の今まで、和葉の膝を枕にして寝ていたという事だろうか。
思わず横座りになった和葉のスカートからのびた、
真っ白な両足に視線が釘付けになる。
寝ている間に、無意識に、あの上に。
「な・・・・・・。」
なっっにしでかしとんねん俺!!
なっっんで憶えてへんねん俺!!
なっっんで起き上がったんや俺ぇぇ!!
激しいまでの自責の念にかられつつ、
口には出来ぬ言葉の数々を胸中で渦巻かせる。
「平次・・・?」
そんな自分に対し、怪訝そうに声をかける和葉の言葉で我に返り、
平次はたとえ無意識とはいえ、
とんでもない事をしでかした自分の所業に対する幼なじみの反応を考え、
熱くなった頭が一気に冷たくなって行くのを感じた。
これは、避けられるとか、嫌われるとか、
下手をすれば双方の父親の職業の世話になる様な事態に発展するのではないだろうか。
その間の記憶がまったく無い事が、割に合わないと思いつつも、
起き抜けに触れた指先の感触が、はっきりとその罪の深さを示している様にも思える。
「わ、悪かったなぁ。けど、起こすとかどかすとかしたら良かったやんけ。」
謝りつつも、様子を見るように、和葉の側にあったはずの選択肢を提示する。
「・・・せやかて、そんな事したら平次起きてまうやん。」
「・・・あ? あー、そらおおきに。
せやけど、その、何や、・・・怒っとらんのか?」
存外にも、優しい内容の言葉が和葉の口から発せられ、
驚きつつも、最終確認は怠らない。
「・・・別に、怒っとらんよ、わざとやないんやし。」
正直、あの瞬間は羞恥の為、頭に血が上ったが、
意識があれば、平次は絶対に自分にあんな事はしない。
不覚を取ったと考えているとしか思えない、今現在の平次の態度からもその事は明確で、
また一人で騒いだら馬鹿を見るだけだと、ぼそりとそんな返答を返したが、
自分はそんな対象には見られていないというその考えに連動し、
こんな時、平次がこういった類の癒しを求める誰かが存在するのだろうかという考えが脳裏をかすめ、
和葉はその瞳を曇らせた。
しかし、平次は平次で、そんな和葉の言葉に何と返したものかと考えつつも、
ほんなら、きっちり意識がある上であんな事したら絶対に許さんっちゅう事やな・・・。
と、胸中では冷や汗を流しつつ、そんな解釈を繰り広げ、
横座りしたままうつむく和葉の様子からも、本当は嫌で仕方なかったのだろうと考えると、
ため息の発生を防ぐ事は出来なかった。
「あ、あの、また寝る? お腹空いとるんやったらご飯の用意出来てるし、
お風呂もすぐ入れるけど・・・。」
まだ切ない気持ちが胸中を支配していたものの、
何故かお互い黙り込んでしまった空気を一掃するかの様に、
和葉はつとめて明るく、平次に向かってそんな提案をした。
「飯・・・はありがたいけど、お前が作ったんか?」
平次もまた、くすぶる気持ちはあったものの、
和葉の言葉には驚いて顔を上げた。
長野を出る際、母親から父親と揃って今晩は出掛けると携帯に連絡が入り、
帰って来るなら夕飯は適当な物を自分でと、
予定の知れない自分の事まで構ってはいられないという、
どこからどこまでも放任な言葉を言われた事は記憶に確かである。
帰宅時はまだいるのかと考えた両親も、
どうやら予告通り出掛けているらしい事から、そんな質問を返すと、
「うん・・・4時ぐらいに来たらおばちゃんら出掛ける所で、
夕方には平次が帰って来るから良かったら待っときって留守任されたから、
あ、あの、ノート待つついでに思うて・・・。」
語尾は何故か早口になりながら和葉が答えた。
「・・・・・・。」
確かに、電話を貰った際、今日の夕方くらいには帰ると母親に告げはしたが、
夕方、という言葉のみを頼りに、4時から自分の帰宅した7時まで、
夕げや風呂の用意をしつつ、自分を待っていたと言うのだろうか。
いくらノートの事があるとはいえ、和葉のそんな行いに対する、
帰宅時の自分の態度を思い起こし、平次は激しい自己嫌悪の念にさいなまれた。
同時に帰宅時間の事を思い出し、
あれから一体どれだけ寝ていたのだろうと腕時計を確認すると、
21時を少し過ぎた時間をデジタルの画面が表示している。
二時間・・・睡眠するには短いが、他人の頭を膝に置くには長過ぎる時間である。
一体いつから、和葉の膝を捕らえていたのだろうかと、確認するのもはばかられた。
「あ・・・あと、平次が寝てすぐに長野の香坂さんて人から電話あってな、
お礼の電話やったんやけど、平次寝とったから、悪い思たけどまだ帰っとらん事にして、
折り返し連絡するって言うてしもたから、後で電話して?」
時計に視線を流す平次を見て思い出したのか、
今回の事件の依頼人からあったらしい電話について和葉が報告する。
「ああ、明日にでもするわ・・・すまんかったな。」
電話があった事など、まったく気づかなかった。
その事についても、電話を取り次がなかった和葉の心遣いに対しても、二重に礼を述べると、
何故か和葉は平次の言葉に対し、複雑な表情を浮かべ、
「・・・・・・ごめんな。」
と、暗闇にたたずむ平次を横座りしたままの姿勢で見上げ、
意を決した様に、そんな言葉をつぶやいた。
「あん? 別に急な電話やなかったんやろ? 何謝っとんねん。」
軽い受け答えで流したものの、お前らしくもないと次ぐ事が出来なかったのは、
謝る和葉が、暗闇にとけ込んでしまいそうな程、はかなく映った為である。
「その事だけやのうて・・・事件で長野行っとったの知らんで、
疲れて帰って来たのにうるそうして・・・・・・。」
恐らくは、香坂夫人からここ数日の平次の動向を聞いたのだろう、
これ以上は無いという程に落ち込んだ様子で、そんな言葉を述べ、
「ごめん・・・ごめんなさい。」
しまいにはうつむいて、消え入りそうな声で和葉は平次に向かって謝罪した。