気づかず優しく 2
・・・金曜から、かかりっきりやったなんて・・・。
とぼとぼと廊下を歩きながら、子機を元の場所に戻し、
和葉は閉ざされた客間の障子を見つめた。
金曜の授業の後、準備をしてそのまま長野に行って、
それから今日解決するまで、寝ずに事件と向き合い・・・。
その上、往復の足は単車である。
一体、何時間寝ていないのだろう。
どれだけ、疲れた事だろう。
そんな中、ようやく家路に着いた相手に対して自分は・・・。
そんな考えを頭に巡らせながら、
和葉は半ば無意識の内に客間の障子を開け、
平次の眠る部屋の中にその身を通していた。
きっちりと障子を閉めても、欄間から漏れる廊下の明かりが、
畳の上で仰向けになり無心に眠る、平次の表情をうっすらと照らしている。
その傍らに、ゆっくりと横座りに腰を降ろしながら、
間近で平次の表情をのぞき込む。
恐らくは、夢の中すら漂ってはいないその寝顔は、
ただ単に眠るという作業を実行しているかの様に、表情が無い。
静かに見つめる事でようやく、浅からぬ疲労の色を平次の顔色から感じ取り、
和葉は改めて、自分が情けなくなった。
そんな関係では無いとわかってはいても、
こういう時に、相手の疲労が読み取れず、口うるさい事しか言えない自分。
自分なら、疲れている時には絶対に関わり合いたくはない人種だ。
休日でも、どんな時でも、平次に会いたいと思っている自分にとは違い、
平次はきっと、そんな風に思っている。
眠りにつく寸前の平次の態度がその事実を裏付ける様に脳裏に蘇り、
和葉はそっと唇をかみ、うつむいた。
好きな人の、癒しにはなれないと自覚させられる事は、何て辛い事なのだろう。
「堪忍な・・・。」
眠ったままの平次を起こさぬよう、ぽつりと独りごちて、
和葉が押入れから客用の掛け布団を出そうと、その身を起こしかけた時だった。
「ん・・・。」
夜気にすらまぎれる程の、和葉の小さなつぶやきに反応したのか、
仰向けに寝ていた平次が身じろぎ、和葉のいる方向にその身を向け、
その動きに連動して動いた右手が、
ぽすんと、和葉をその場にとどまらせる様に、
横座りする和葉の膝の上に覆い被さった。
「なっ・・・!!」
コットンのスカート履きの自分の片膝に、直に置かれた平次の手の感触に驚いて、
和葉は立ち上がろうと浮きかけていた腰を思わず落としてしまったが、
それでも平次を起こさぬよう、必死で声を押し殺す。
そんな和葉の動揺になど、気づく由もなく、
平次は片手に触れたぬくもりと感触に気を良くした様に、
その手元へと、白河夜船の意識のまま、自分の頭を移動させた。
「な・・・ななな・・・。」
あまりの事に、和葉は平次を起こす起こさないの考え以前に、
言葉を発する事が出来ない程に混乱させられた。
膝の上には平次の頭。
恐らく、体を横にした際にその手に触れた物が、
仰向けに寝ている時にはさして必要では無かった枕の代わりになると、
その本能で感じ取り、その身を寄せて来たのであろうが、
傍目にはどう考えても「膝枕」と映るその行為に、
和葉が冷静でいられる訳が無い。
「ちょっ・・・!!」
鏡を見なくてもわかる程、赤くなったと感じる表情で、
一刻も早くこの恥ずかしさから解放して貰おうと、和葉は声を上げかけた。
しかし、
せっかく気持ち良く寝ている相手を、
今ここで起こして良いものかという考えが頭をよぎる。
重ねて、その理由を平次に告げる際、
まかり間違えばケンカになってしまいそうな自分達の間柄も。
あ、あかん・・・。
先程の一件を思い出し、
これ以上、平次を疲れさせてはならないと、和葉は平次を起こす事を断念した。
代わりに、何とか平次を起こさぬよう、
その頭の下から膝を抜こうと考えたが、
自分の膝を抱え込む様にして眠る平次を起こさずして、
その計画を実行に移す事は不可能に等しかった。
「・・・・・・。」
困ったと、声を出す代わりに嘆息を一つ。
息をついて、落とした視線の先に、平次の寝顔がある。
先程より、幾分安らかに映る寝顔。
自分の膝の上で、少しでも、その眠りは心地良いものに変化したのだろうか。
自惚れめいた考えかとは思うが、
いくら何でも、直に畳に寝るよりは、少しはましだと思いたい。
それなら、と和葉は思う。
自分が少しの気恥ずかしさと戦う事で、
平次が安眠出来るのなら、このままでも良いのではないだろうか。
そんな事を考え、和葉は静かに深呼吸をし、顔の火照りを抑えると、
強張らせていた体から何とか力を抜き取り、
平次が少しでも眠りやすいように、膝の位置をわずかに移動させた。
そして、願わくば、幾ばくかの癒しをと、
少し硬い平次の髪の毛をゆっくりと撫でながら、
膝の上で眠りにつく、幼なじみの表情を、
優しい笑みをたたえた、柔らかな表情で見守るのだった。