一品追加 1


        「だいたい、急に来たって何もないって、いつも言うてるやろ?」
        文句を言いながらも視線は慎重に溶き卵の状態を伺っている。
        簡単に見えて神経を使う料理だと考えながら、
        和葉は何とか理想通りに完成した木の葉丼の具を、丼によそったご飯の上に盛り付けた。
        「しゃあないやろ? 腹減ったのに金ないし、おばはん時間にならんと飯作らんのやから。」
        「そんなん当たり前やろ!! もう、これで晩御飯残されたりしたら、
        おばちゃんに申し訳が立たんわ・・・。」
        「大げさなやっちゃなぁ・・・。まぁ、その心配はないから安心しとけ。」
        肩をすくめてみせたものの、育ち盛り丸出しの台詞を自信たっぷりに告げつつ、
        平次は和葉がテーブルの上に置いた丼を引き寄せようと手を伸ばしたが、
        「平次。」
        「あー・・・、はいはい。」
        瞬時に静かだが鋭い声が飛び、苦虫を噛み潰した様な表情で洗面所へと向かう。
        『食べる前にはきちんと手を洗いましょう。』
        躾には厳しい静華の元で育ちながら、どうして万事が万事あの調子なのか。
        精神の自立と言ってしまえば聞こえは良いが、
        子供の頃から出入りしている警察での、刑事達の振る舞いによる影響も大きいかもしれない。
        忙しさの中、礼儀作法とは無縁の世界だ。
        休みだと言うのに昨晩から事件現場に立ち合い、
        そのまま先程まで府警に入り浸っていたと言うのだから、
        この考えもあながち間違いではないだろう。
        もっとも、午後も三時を過ぎた頃に突然やって来て、「何か食わせろ。」などと言い出す人間は、
        少なくとも和葉の知人の刑事の中には一人もいないが。

        丼物だけではと、温めなおした朝食のみそ汁をテーブルに並べて置きながら、少し眉を落とす。
        今更平次の無礼さを怒るつもりはないし、
        正直に言えば、来てくれて嬉しいと思う気持ちの方が勝っている。
        けれど、せめて事前に一言言ってくれれば、もう少し凝った物が作れたのに。
        買い物に行く前だったので、家には限られた食材しかなく、
        咄嗟に考え付いたのが木の葉丼だったのだが、
        それにしたって三つ葉を切らしていて、和葉にしてみれば80%の出来だ。
        汁物にしてみても、丼物に合わせてお吸い物にしたかったが、
        そこで再び三つ葉がない事が気になって、
        結局、朝方に作った大根のみそ汁を並べる事になってしまった。
        静華であれば、この様な落ち度はなく、
        限られた食材であっても気の利いた料理を作る事が出来ただろうに。


        「何やねん、ぼけーっとして。」
        「別に。」
        気落ちしているのを悟られまいと、調理器具を片付け出す。
        平次は特に気にした様子もなく、席に着き、先程の件を気にしてか、
        「いただきます。」
        と、殊勝につぶやいてみせてから食事を始めた。

        「・・・しかし、あれやな。」
        「え?」
        美味しいかな、そう言えばきちんと味見をしていなかった・・・と、
        後片付をしながらも、平次の様子を伺う中、ふいに声が上がり、背筋が伸びる。
        「その、何か他にないんか?」
        「・・・・・・。」
        即席とはいえ、人が頑張って作った物を食べながら、何を言い出すのか。
        和葉は思わず目を吊り上げて振り返ったが、
        「い、いや、ちゃうで!! その、物足りんとか、そういう意味やなくて、
        昨日の残り物でもあったら処理したろうかって思っただけや!!」
        その剣幕に焦った平次が早口で弁解する。
        「・・・心配せんでも、昨日の夕飯は大勢やったから何も残っとらんわ。」
        怪しいものだと考えながらも、片付けを終えた手を洗い、
        何とか気を落ち着かせて言葉を返す。
        昨晩は父が部下を数人連れて帰って来た為、夕食は賑やかだった。
        大滝等の馴染みの刑事は平次も関わった事件に向かっている様だったが、
        郷里を離れ、家庭の味が恋しくなった若手刑事を数人連れて行くからと、
        こちらはきちんと事前に連絡を受け、和葉も腕をふるったものである。
        「・・・ああ。」
        既知の事実であったのか、平次が軽く頷くが、その声はどこか乾いていた。
        「あ、府警で聞いたん? 初めて会うた人もおったけど、皆ええ人やな?
        お父ちゃんが普通の料理でええって言うから、
        そんなに大した物作らんかったんやけど、めっちゃ喜んでくれたんよ!!」
        昨晩の事を思い出し、和葉が顔をほころばせる。
        「ああ、そうみたいやな・・・。」
        「え? 何か言うとった!?」
        白々とした平次の態度には気づかずに、
        何か聞き及んだらしいその言葉のみに注目し、和葉は目を輝かせて身を乗り出した。
        「別に・・・。」
        「ふぅん、そう。」
        平次の前でも何か言って貰えたのなら、平次も少しは見直してくれるかと思ったのだが、
        さすがにそこまでの事ではなかったらしい。
        少し図々しい考えだったと考えて、和葉が顔を赤らめると、
        「・・・お前なぁ、何舞い上がっとんねん、
        何言われたか知らんけど、そんなんお世辞に決まっとるやろ?」
        と、眉をしかめた平次により、容赦ない言葉を投げつけられる。
        「なっ・・・そんな言い方せんかてええやろ!!
        確かにお世辞かもしれんけど、喜んで貰えて嬉しかったんやから!!」
        あんまりな言い草に、和葉は改めて目を吊り上げた。
        自分でも舞い上がった気持があったと考えたばかりなので、怒りもひとしおだ。
        「はーん、さよか。」
        これ以上、何か言うのであれば、食べかけの料理を取り上げてやろうかと思ったが、
        静かな声を返されて気勢を削がれる。
        もっとも、その声には柔らかさの欠片もなかったが。

        「・・・タコと里芋の煮物とか、結構好評やったんやから。」
        勢いをなくした体を持て余す様に平次の前に腰掛け、
        多少情けないと思いつつも、何とか自らを元気づけようと、小さい声でそんな言葉を言い募る。
        前の晩に作った魚の煮付けの煮汁で作った煮物は、
        「他もええけど、これは涙が出る程の絶品ですわ!!」
        と、手放しの賛辞を受ける程だったのだ。
        味わってくれた人間の言葉を支えに、平次の言葉を気にするのはよそうと、和葉は唇を尖らせたが、
        「知らん。」
        と、切り込む様な声を返され、目を見開く。
        「は?」
        「せやからそれ、俺は食ってないから知らん!!」
        「・・・・・・。」
        会話の流れからは予想も出来ない様な大声が部屋中に響き渡る。
        驚いて、咄嗟には言葉が浮かばない。
        何をそんなにいきり立っているのだろうと考えを巡らせる。
        タコと里芋の煮物なんて、服部家ではさして珍しくもない料理のはずなのだが。
        「・・・あんた、タコと里芋、そんなに好きやったっけ?」
        思案の末、思いついた結論を口にしてみる。
        「・・・・・・。」

        何故か平次は憮然とした表情となり、無言のまま料理をかきこみ始めた。