七十五日にとどまらず 1
だし汁、小麦粉、卵、キャベツ、ネギ、長芋、天かす、桜エビ、さきいか、ちくわは基本。
豚バラ、シーフード、チーズ、コーン、キムチは任意で。
青ノリ、かつお節、紅しょうが、からし、ソース、マヨネーズも忘れずに。
「だし汁、綺麗な色やね。」
「おおきに。昨日から仕込んどいたからなぁ。」
学校給食で一クラスは優に受け持てるであろう、
底の深い鍋の中を除き込みながら和葉が感嘆する。
鍋の半分を占める、透き通った淡い飴色の液体。
急仕込みでは出る事のない色彩の美しさが、
基本だからこそ手は抜かずの静華の調理法を如実に表している。
今夜は平蔵が和葉の父と共に、数人の部下を連れて帰るとの事なので、
気の置けない間柄という事もあり、夕食はお好み焼きにしようと、
何品かの料理と共に、静華と和葉はお好み焼きの下ごしらえを進めていた。
「・・・と、だし汁で思い出した、かつお節削らな。」
そう言いつつ、和葉は乾物用の貯蔵棚からかつお節を取り出し、
鰹箱と共に台所の床に正座しかけたが、
「それより和葉ちゃん、悪いんやけどキャベツ一個買うて来てくれへん?
やっぱり家にある分だけじゃ足らんみたいでなぁ。」
たった今切り終えた、キャベツの山を見やって静華が眉を下げる。
普通の家庭なら充分すぎる量ではあったが、若い刑事や育ち盛りの息子をまかなう上では心もとないし、
「キャベツは姑が顔をしかめる程」は、お好み焼きの基本であるので、ここは妥協したくない。
「うん、ええよ。」
和葉は快く答えて立ち上がり、エプロンを外しかけたが、
「ちょお、そのまま行ったらええやん。かわええわ。」
と、静華がその手を制す。
「へっ・・・。」
静華の言葉に和葉は驚いて自分の格好を見下ろした。
本日の服装はと言えば、料理の手伝いという事もあり、
生成りの開襟ブラウスに、深いえんじのプリーツスカートという、
女子高生にしては比較的落ち着いた格好で、
エプロンはと言えば、静華の用意した真っ白な前掛けである。
何やら昭和初期の映像から抜け出してきた様ないでたちに、
「おかしない?」
と、和葉は異論を唱えかけたが、
「ええからええから。」
と、静華にがまぐちの入った買い物かごを渡されて勝手口へと追いやられる。
こういう時の静華の押しはやけに強いので、これ以上の反論は無駄だと、
和葉はおとなしく靴下履きの足に勝手口に常備してあるサンダルを引っ掛けてそれに従った。
「ここからやと商店街の方が近いからそっち行ってな〜。」
「う、うん・・・。」
やけに陽気に送り出す、割烹着姿の静華に気圧される様にして、
和葉は勝手口から裏庭を通り、裏木戸へと向かった。
服部家の裏口から十分程歩いた場所に位置する小さな商店街は、
瀟洒な住宅の立ち並ぶ、この辺りの土地にしてはいささか下町めいた雰囲気ではあったが、
明るく、活気のある店が多く、非常に買い物がしやすい。
和葉はと言えば、自宅の立地上、
もっぱら近隣の大手スーパーに買い物に行く事が多かったが、
たまに静華と買い物に来る度に、暖かく包み込んでくれる、この商店街の雰囲気が好きだった。
「こんばんはー。おばちゃーん、キャベツ一つ。」
夕暮れ時という事もあり、商店街は買い物客でにぎわっている。
魚屋が勢い良く魚をおろす様や、コロッケが次々と美しいきつね色に揚げられて行く様子を楽しげに見ながら、
商店街の奥地へと進み、八百屋の店頭にて元気に呼びかける。
「はいはい・・・あら和葉ちゃん!! 今日は一人なん?」
「うん。おばちゃんに頼まれて・・・。」
店内には二、三人の客がいるものの、おかみは釣銭勘定の為か奥座敷に引っ込んでいたが、
顔見知りという事もあり、和葉の姿を認めると、嬉しそうな笑顔を浮かべ、
恰幅の良い体を揺らして小走りで店先へと現れた。
「そう・・・それにしても今日はまた可愛い格好やなぁ!!
和葉ちゃん、昔から可愛かったけど、ほんまべっぴんさんになって・・・。
この前服部さんの奥さんと見えた時も、ええ娘になったなぁてウチの人と話してたんよ。
なぁ、あんた!!」
言いながら、店の奥で野菜の入った箱を卸している亭主へと呼びかける。
「ああ。ついこの前まで服部さんとこの悪ガキと風呂屋の煙突に上ったり、
米屋のリヤカーで走り回ったり、布団屋の倉庫の布団の上で跳ね回ったりしとったのになぁ。」
店の主人もその意見に賛同したが、
女房と違い、手放しに誉める事はしない性格らしく、悪意のない揶揄を含んだ思い出話を並べてみせ、
伝票をハチマキへと挟みつつ、カラカラと笑ってみせた。
「あ、あの、はよう忘れて・・・。」
現在の容姿への賞賛と、過去の所業の思い出話、
どちらに対して赤くなって良いのかわからないまま和葉が口ごもる。
思えば、静華との買い物以前に、平次との遊び場の一つであったこの商店街において、
和葉とその幼なじみは、先程八百屋の主人が挙げた例が一部に過ぎないという程に、「やらかして」いた。
主犯はもっぱら平次であったのだが、
女の子だからという理由で置いていかれまいと必要以上の付き合いを見せた事で、
共に怒られた記憶は少なくない。
「はいはい、いじめるんはそれくらいにして・・・はい、キャベツ。」
「おおきに。」
助け舟を出す様におかみが和葉の買い物かごにキャベツを入れてやる。
ホッとした様に和葉はがまぐちから料金を取り出したが、
「・・・で、いつなん、和葉ちゃん?」
続けて発せられた、探る様なおかみの言葉には、取り出した硬貨の如く目を丸くした。
対するおかみの目はと言えば、上弦の月の様に細められている。
「へ? 何が?」
「何がって、またとぼけてからに・・・高校出てから? それとも大学?」
「・・・はい?」
まったく話の見えない和葉に対し、おかみは「うふふふふ。」と口元に手を当てながら詰め寄り、
商売柄、鍛えた声を張り上げた。
「せやから、服部さん家にお嫁に行くの!!」