秋雨想起 6


        「和葉ちゃん、ほんまに少し熱っぽいわ。
        せやのにずいぶん無理してたんやね。」
        和葉の報告に、殊更元気付けられた様な父を見送った後、
        家の中に入りながら、静華が和葉の額に優しく触れて眉を下げる。
        「・・・・・・。」
        ここ数日の気分の悪さは熱から来るものだったのだろうか。
        それでもすべての感情を、熱のせいにしてしまうのは、それこそわがままだ。
        反省すべき点はたくさんあるのだから。
        差し当たっては・・・。
        「さ、そんなら、ご飯より先に、お風呂入って冷えた体暖めといた方がええわ。
        今お風呂見て来るから・・・平次、奥行って、タオルで和葉ちゃんふいたげなさい。
        あと、着替えも出したってな?」
        「・・・・・・。」
        和葉の容態を考えた、てきぱきとした静華の言葉に、
        何故か平次は複雑な表情を浮かべ、押し黙った。
        「何やのあんた、返事も出来んの? ああ・・・。」
        そんな息子の態度に、静華は一瞬、柳眉を逆立てかけたが、思い当たる事があったのか、
        「わかったわ、あんた、昨日からずっとふさいどったもんなぁ。その上・・・。
        けどなぁ、こういう時こそ、男やったら・・・。」
        と、何事か、諭す様に語り始めたが、
        途端に、真っ赤になった平次に、その言葉を遮られる。
        「やかましいわ!! わかったから、さっさと風呂の準備せえ!!」
        「くっ・・・。」
        従順、とは言えない言葉と態度だったが、
        それでも静華は、何故か笑いをこらえきれないと言った表情のまま、
        足早に風呂場の方へと消えて行った。

        「・・・・・・。」
        平次と静華のやり取りが、まったく理解出来ず、
        ぽかんとしていた和葉だったが、ふいにその手をぐいっと引かれ、
        黙ったままの平次によって、奥座敷の方へと導かれる。
        握られた手は暖かく、心地良かったが、
        その行為はただ単純に、自分と口を聞きたくないが故の事なのだろうと、
        ここの所の平次に対する自分の態度を思い出し、和葉は肩を落とした。
        そう、差し当たっては、
        子供じみた感情から、嫌な態度を取ったり、ひどい事を言ってしまった平次に謝らなければならない。
        でも、
        ・・・お父ちゃんに謝るより、ずっと難しい思うんは・・・何でやろ。
        それが平次の頑なな後ろ姿から来る感情なのか、
        自分の中にある複雑な気持ちから来る感情なのかはわからないが、
        思う様に言葉が出て来ず、和葉は再び泣き出しそうになるのを堪えて、押し黙った。

        「・・・・・・取り消せや。」

        どうしたら良いのかわからずにいる和葉の前方から、
        ふいに、そんな言葉が発せられ、驚いて顔を上げる。
        「え?」
        「・・・せやから!!」
        苛立った様に振り返り、平次は言葉を続けようとしたが、
        意味がわからず、きょとんとしている和葉の表情を目に映すと、
        それ以上、何も言えず、
        「あーーーっ!!」
        と、意味不明の言葉でうなりながら、
        空いている方の手でがしがしと頭をかきむしった。
        「平次?」
        「何でもないわっ!!」
        何でもない事はないだろうと思ったが、
        先程の、黙ったままの平次よりはずっと平次らしいその様子に、思わず笑みがこぼれた。
        「・・・何笑てんねん。」
        ムッとして、平次が再び前を向いて歩き出す。
        そのまま、再び平次に引っ張られそうになった和葉だったが、
        逆に、その手を両手でつかんで引き止めた。
        「なん・・・。」
        「平次・・・ごめんな?
        昨日の事と・・・あと、嫌いなんて言うて・・・。」
        「あ・・・わ・・・。」
        平次の態度により、緊張がとけた気持ちに頼る様に、
        和葉は謝罪の言葉を述べたが、
        和葉の両手に手を握られ、顔をのぞきこまれた平次は、
        何とも言えない表情で、意味不明の言葉を発するばかりである。
        「・・・怒っとる?」
        恐る恐る、平次の顔を上目使いに見つめながら確認する。
        「べ、べ、別に怒っとらんわ。全然、気にもしとらんかったし!!」
        何故か和葉から視線をそらしながら、早口に平次が返答を返す。
        その言葉通り、あまり、取るに足らない出来事だったのだろうと、
        和葉は安堵しつつも、どこか寂しい気持ちにさいなまれたが、
        ふと思い当たり、
        「あと、お父ちゃんに言うてくれて・・・ありがとな?」
        と、先程父が示唆した、父に対する平次の忠言に対し、素直に礼を述べた。
        おそらくは昨日の、八つ当たりとしか言い様のない自分の態度から内情を察し、
        何事か、父に意見してくれたのだろう。
        にも関わらず、父と平次の仲を嫉妬するばかりだった、
        幼稚すぎる自分が恥かしかった。
        「俺は別に・・・。それよりはよ体ふけや。」
        「うん。」
        さっさと話題を変える様に、平次は今度こそ、和葉の手を引いて奥座敷に足を進めた。
        和葉も、少し苦笑いしながらも、素直にその後に続く。
        そして、
        「平次。」
        「何や?」
        「また・・・事件の話、聞かせてな?」
        前を行く、平次の表情は見えなかったけれど、
        いつもの、心からの言葉と笑顔で、和葉は平次に問いかけた。