秋雨想起 5


        「・・・・・・。」
        突然現れた父に、どういう態度を取って良いかわからず、
        和葉は震える様に身を硬くしたが、
        父はそんな和葉にゆっくりと手をのばすと、
        無骨な手で、壊れ物を扱うかの様に和葉を優しく抱き上げた。
        「和葉・・・。」
        「おと・・・ごめなさ・・・。」
        間近で見る父の表情は力なく、今まで見た、どんな表情よりも戸惑って見えた。
        そんな父の様子に和葉は何とか謝罪の言葉を紡ごうとしたが、
        涙が邪魔をして、言葉が上手く出て来ない。
        「・・・和葉が謝る事やない、お父ちゃんが悪かった。
        電話までさせておきながら、
        お前が寂しそうやって、平次君に言われるまで気ぃつかんかったし・・・。」
        そう言って父がちらりと後ろ振り返ると、
        父に次いで家屋からやって来た平次は、その言葉に一瞬、ばつの悪そうな表情を浮かべたが、
        驚いた表情の和葉と目が合うと、怒った様な表情のまま、真っ赤になって目をそらしてしまった。
        「平蔵の家で食事させて貰たら、いつもみたいにお前が喜ぶ思て、
        ずっと離れとったお前の気持ちも考えんかった。」
        「おと・・・。」
        「それに・・・。」
        きちんと自分に向けられていた、父の気持ちを受け止めて、
        何も言えないままでいる和葉の額に、父が自分の額を押し付ける。
        それは出掛けに、和葉の照れにより失敗してしまった検温方法だった。
        「・・・やっぱり少し熱があったんやな。
        そんな事にも気づいてやれんで、お父ちゃん、和葉のお父ちゃん失格やな。
        ・・・・・・もう、嫌か?」
        「・・・・・・!!」
        そんな弱々しい、父の言葉を聞くのは初めてだった。
        和葉はもうたまらずに、父の首に飛びつく様に抱きついていた。
        「ちゃうの!! 嫌なんかやないの!! 大嫌いなんて言うてごめんなさい、
        お父ちゃんが好き・・・大好きやの・・・。
        せやからずっと、あた・・・あたしのお父ちゃんでいて・・・。」
        感情のままに強く抱きついた和葉の体を、
        暖かい、父の両腕が一層強く包み込む。
        そうして、少しだけその力を緩めると、父は小さいが力強い声で、
        「お父ちゃんも和葉が大好きや。
        ・・・・・おおきにな・・・。」
        と、腕の中の娘に、ゆっくりと囁いた。


        秋の長雨の中、草深い裏庭の一角で抱きあう父と娘、それを見守る母と息子。
        誰もが介在する事をはばかる様な、そんな情景を打ち破ったのは、
        文明の利器とはいえ、この場においては無粋としか言い様のない、携帯の着信音だった。
        「・・・・・・。」
        この職業においてはあってはならない事であるが、
        一瞬だけ、迷いの様な沈黙を走らせつつも、次の瞬間、父は和葉を片腕で抱えると、
        もう一方の手で自分の上着から、非情に鳴り続ける携帯を取り出し、通話ボタンを押した。
        「・・・平蔵か。ああ・・・わかった、すぐ行く。」
        その言葉に、急な事件の発生を、その場にいる誰もが悟った。
        「・・・和葉。」
        携帯を切り、父が和葉を深い眼差しで見つめる。
        「降ろして。」
        静かな和葉の言葉に、一瞬、父が戸惑った表情を浮かべたが、
        それに反して、和葉はまだ涙の跡が残るものの、晴れやかな表情を浮かべてみせた。
        「あたしは大丈夫やから、降ろして。
        そんで、お仕事・・・頑張ってな?
        あたし、刑事のお父ちゃん、大好きやから。」
        「・・・・・・ああ。」
        娘の笑顔に、百万の力を得た様な表情で頷くと、
        父は和葉を地面に降ろし、
        「そんなら和葉、お父ちゃん行くけど、熱あるんやし・・・。」
        尚も言葉を続けようとしたが、
        「和葉ちゃんの事は私に任せて、遠山さんは早う・・・。」
        静華が神妙な口調でその言葉を遮り、
        安心させる様に背後から和葉の両肩に手を置くと、和葉の父を外へと促した。
        無粋を承知でそんな真似をしたのは、
        刑事としての、親としての、和葉の父の立場を考えた上での、静華なりの配慮である。
        その心を感じ取り、和葉の父は静華に一礼し、その場から歩き出した。
        そんな父の背中を黙って見送ろうとしていた和葉だが、
        ふいに、早口の大声がその口から流れて漏れた。
        「・・・お父ちゃん!!
        あのっ、いつでもええから!!
        あたしと・・・展覧会行って!! 学校の!!」
        静華の言葉を思い出しての、勇気を振り絞った一言。
        しかし、やはりわがままに響いてしまうかと案じたそれは、
        父の笑いを誘った様だった。
        「ああ、ええで。せやけど展覧会でええんか?」
        おそらくは、遊園地や動物園等、もっと子供の喜びそうな場所を考えて、
        父はそんな言葉を返したのだろうが、
        和葉は父の肯定だけが嬉しくて、その言葉に笑顔で頷いてみせると、
        元気な声を張り上げた。
        「うんっ!! お父ちゃんの絵描いたん、選ばれたから!!」