秋雨想起 3


        「何やお前、こんな所におったんか。」
        公衆電話から離れ、教室に戻ろうとする和葉の前に平次が現れる。
        皆と話していたはずなのに、どうしてこんな所に現れるのだろうと和葉は眉根を寄せた。
        「・・・何やねんその顔。さっきからお前、何怒っとんねん。」
        「別に、怒っとらん。」
        「怒っとるやろ。」
        一本気な性格の平次が、こういう態度を快く思わないのはわかる。
        でも今は放っておいて欲しかった。
        そんな考えから、そのまま平次の横をすり抜けようとした和葉の肩を、平次がつかんで引き止める。
        「平・・・!!」
        「・・・わかった。」
        振り返りざまに怒った顔で睨みつけると、
        平次はそんな和葉の表情を見て、何故か見透かした様な声でそう言い、
        色黒の肌を殊更印象付ける様な白い歯をむき出しにして、にかっと笑ってみせた。
        どう考えても、笑顔で悟られる様な類の理由ではない事から、
        和葉は眉間のしわを深めたが、
        「お前、事件の事、一番に話さんかったから怒っとんのやろ?」
        自信満々に、平次の発した答えはそれである。
        「な、そんなんとちゃう!!」
        「まぁ、そう怒るなや。まだな、皆に話してない事もあんねん。」
        見当違いな平次の意見に、さすがの和葉もいささか声を高めたが、
        平次はおかまいなしにそんな言葉を続けて来る。
        「だから、そんなんとちゃうって・・・。」
        「聞いたら驚くで? お前の親父かて誉めてくれたんやから。」
        「・・・・・・!!」
        ビクッと、肩がはね上がる。
        平次にしてみれば、自分の持っている秘密の情報が、
        どれだけ重要な物か、和葉に誇示する意味での言葉だったのだろう。
        だが、今の和葉に、その言葉は別の意味を持って響いた。
        「まぁ、これは皆には話すな言われとるんやけど、
        その、か、和葉にやったら、話したってもええで?」
        何故か照れた様な平次の言葉も、もう耳には届かない。
        「・・・聞きたない!!」
        自分でも驚く程の強い口調で、そう言い放つと、
        和葉は平次を置いて、教室に向かって走り出した。

        チリチリと胸が痛む。
        どこかがおかしい、何かがおかしい。

        でも本当は、理由なんてわかっている。

        嫉妬だ。

        平次が、何日も父に会えないでいる自分よりも、父に近しい事が、
        悔しかった。悲しかった。羨ましかった。


        その後、どうやって残りの授業を受けたのか、
        隣席の平次の様子も思い出せないままに、一日が経った。
        無気力な表情で居間の床に横たわり、休日の午後を過ごす和葉の瞳に、
        昨日からの長雨が、窓の外の萩を静かに濡らしている様子がぼんやりと映る。

        きもち、わるい・・・。

        胸の痛みは、チリチリなどと言い表せる様な、軽いものではなくなっている気がする。
        この痛みは、自らの行いに対する、罰の様なものなのかもしれない。
        平次に、嫌な態度を取ってしまった。
        平次は、自分の話を聞かせてくれようとしただけなのに。
        あんなのは、完全な八つ当たりでしかない。
        休みが明けたら、きちんと謝ろう。

        あやまれる・・・かな・・・。

        「何や、こんな所で寝て。具合でも悪いんか?」
        横になって、胸の痛みと戦っている内に、
        和葉はいつの間にかうとうととしていた様だった。
        ふいに、頭上から聞き覚えのある声が響き、驚いて身を起こす。
        「お・・・お父ちゃん・・・。」
        「は、どないしたんや、鳩が豆鉄砲食ろた様な顔して。」
        そう言って笑うと、父は和葉を自分の目の高さまで抱き上げた。
        「・・・お帰りなさい。お仕事、もう良いん?」
        父に会ったら、もっとたくさん、言いたい事があったはずなのに、
        いざ目の前にしてみると、口からこぼれたのは、そんな平凡な一言だった。
        「ああ、今日はな・・・。
        そんで和葉、具合は大丈夫なんか?」
        そんな風に言いながら、抱き上げた和葉の額に自分の額を押し付けて熱を測ろうとする。
        自分にこんな検温の仕方が出来るのは、きっと父くらいだろう。
        泣き出しそうになりながらも、
        照れて、そんな父の検温を回避すると、
        「大丈夫、ちょっと寝とっただけや。」
        と、和葉は元気に笑ってみせた。
        「そうか。そんなら、帰ったばかりやけど、出掛けよか?」
        和葉の様子にホッとした顔を見せ、
        父は和葉を床に降ろすと、そのまま手を引いて玄関へと向かった。
        「出掛けるん?」
        「ああ。えーえ所やで?」
        とっておきの秘密を隠す様に、意味ありげに微笑んでみせる父の様子に、
        和葉も思わず、笑みを深めた。