そして本日も何事も無く 4
「じゃあ、遠山先輩がお母さん代わりに服部先輩の剣道着を修繕したんですね。」
一時休戦の形を取り、昨晩の事について思考を巡らせる平次と和葉に、
士朗がすべての出来事を総括する様に、そんな言葉を述べる。
かぁーつーらぁーぎぃー、頼むからそっとしておけぇーーー!!
周囲の人間が黙って目をつぶりつつ、まなじりをひくつかせながら、
この一見無邪気な一年生に対し、心の中でツッコミを入れる。
しかしながら、何故か憎めない存在であるというのが、葛城士朗の最大の武器である。
平次も和葉も、互いに言い合う事はあっても、士朗に強く出る訳にも行かず、
相手の反応を待つ様に、言葉を返せぬまま押し黙った。
「・・・服部先輩の剣道着、
昨日の部活の段階で結構すさまじい物があったから大変だったでしょう。
先輩の事だから帰ってからも稽古したと思うし。」
「そっ・・・んな事ないよ。」
すべてを見抜くような士朗の視線と言葉を受けながら、
和葉は一瞬言葉につまり、上擦った声で肯定と言うべき否定の言葉を返した。
「いやいや、だって今日の先輩の袴姿、いつにも増して決まってましたもん。
昨日と同じ道着だったとは思いませんでしたよ。
だからかなぁ、今日の試合、服部先輩が妙に張り切ってたのは。」
「そんな訳あるか!!」
てっきり和葉に水が向けられていると気を抜いていた所に、
突然の様に話を向けられ、平次は思わず、物凄い速さで怒鳴り返していた。
これまた、動揺の度合いの表れた、肯定と言うべき否定の言葉である。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
妙に綺麗になってると思いはしたが。
妙に張り切っていると思いはしたが。
まさか、と、心の中で否定を繰り返しつつも、
士朗の言葉に反応してしまっている自分がいる。
いや、それよりも問題なのは、
相手に自分の行動理由を知られてはいまいかという点である。
胸中で様々な葛藤を繰り返しつつも、
二人は真横にいる互いの表情を見る事が出来ぬまま、
走るバスの前方を見つめたまま押し黙った。
冷房のきいた車内で、どこか頬を熱くしたまま。
「・・・おい。」
再び静かになった一組の男女と、それを見守る友の会と言うべき部員達を乗せ、
快適な運転をバスが続ける中、平次が突如として口を開いた。
あんな言い合いは日常茶飯事であるし、
元よりこんな大勢の部員に囲まれている中で謝罪するつもりは毛頭無かったが、
自分から、普通に会話を向けようかと、
いささか譲歩した事を考えて、真横の和葉に何事が話しかけようと考えての行為である。
しかし、声をかけられた相手は、それに対しまったく反応を返さず、
まだ怒っとんのかこの女、と、沈黙を守る相手に対し、やや苛立って顔を向けると、
その存在は、かくん、と、頭を前に落として、無言で夢の世界への旅立ちを告げた。
またか・・・。
昨晩の和葉の睡眠時間を思えばそれは仕方ない事ではあるのだが、
会話の糸口を探し、様々な考えを巡らせていた平次としては脱力一直線である。
どこでも眠れるというのは長所と言っても良かったが、
どんな時でも寝てしまうといのは短所と言っても良いのではないだろうか。
そんな事を考えつつ、走るバスの中、前屈みの姿勢で寝るのは危ないだろうと、
周囲を気にしつつ、平次が行動を起こしかけた時である。
バスが緩いカーブを描いて左折し、
その反動をもって、和葉は隣席の人間の肩口にもたれかかった。
平次では、無い方の。
「・・・・・・。」
「す・・・いません。」
突然、真横に柔らかな感触と、すべる黒髪、静かな吐息を感じ、
さすがの士朗も狼狽し、体を硬くしたまま、
目線だけを平次に向けて謝る。
「・・・何がやねん。」
士朗の謝罪を受け、気にする事も、気にしている事も何も無いと言う風に、
そう、問いかけで返すと、平次は窓枠に肘をつき、外の風景へと視線を移動させた。
「何や、遠山寝てしもたんか?」
後部座席の様子の変化に気がついて、
前席の二年生の一人がからかう様に後方に視線を流し、
他の部員達も何故か狼狽しているらしい士朗の声に、
珍しい様子が見られるかとそれに続き、
次の瞬間、全員が全員、後悔の念にさいなまれた。
眠る和葉にもたれかかられ、いつにない、
困った様な表情を浮かべる士朗の様子は面白かったし、
それに対し、素知らぬ表情を決め込みつつ、
窓の外を見続ける平次の胸中を考えるのもなかなか愉快な行為ではあった。
しかし。
その中央で、両脇の少年の葛藤など、知る由も無く、
健やかな寝息を立てて眠る和葉の寝顔は、
面白いとか、愉快だとか、そんな簡単な感情ではくくれない程の感銘を少年達に与えた。
かっ、かわええ・・・。
犯罪やろ、あの顔は・・・。
もはや、両脇の少年に対する揶揄はどこかへ吹き飛び、
食い入るように和葉の寝顔を見つめたまま、ぽかんと口を開いた間の抜けた表情で、
それぞれがそれぞれ、そんな事を思ってしまったが、
次の瞬間、はたと我に返り、
何故か窓の外の景色を見つめる瞳が鋭さを増したかの様に思える少年の存在に気づき、
その静かなるオーラに命令された様に、
バッ、っと音がする程、いっせいに視線を前へと戻した。
「す、すみません・・・。」
真正面の空中に視線を漂わせた一年生の一人が、
いたたまれなくなったのか、脅えながら、先程の士郎同様に謝罪の言葉を述べる。
「・・・せやから、何がやねん・・・。」
空気に向けられたその謝罪は、誰への、と宛先は書かれていなかったが、
平次はすこぶる不機嫌に窓の外の景色を見つめたまま、
疲れた様に先程と同様の問いかけで返した。
しかし、その答えを知る由もないのは、健やかに眠る隣席の佳人のみである。