そして本日も何事も無く 1


        「あぢーーーっ!! バスまだか?」
        「あと十二分・・・休日やからなぁ。やっぱ自転車のが良かったかなぁ。」
        「ぐはーーーっ!! やっぱも一本、茶ぁ買って来るわ俺。」
        午後に入っても落ち着く事を知らない真夏の光りを受けながら、
        改方学園剣道部の面々は、
        ともすれば逃げ水の見えそうな、ほとんど車の通らぬ車道の彼方を睨みつつ、
        他校の校門前でバスの到着を待っていた。
        練習試合で近隣の高校におもむき、
        ストレートで全勝という、満足の行く成果を残し、
        現在は自校に戻り、ミーティングを残すのみであるのだが、
        炎天下の下、バスを待つという行為は、試合直後の倦怠感を殊更増加させ、
        口から出る言葉は小さからぬ不平不満ばかりである。
        「・・・騒ぐなやお前ら、余計暑なるわ。」
        「あ、はーい。」
        「すんません。」
        面々と言っても、交通の関係上、自転車で来た者が多く、
        顧問も自分の車を駆ってさっさと学校に戻ってしまったので、
        現在ここにいるのは六名の一年生に、四名の二年生のみである。
        顧問が不在、上級生も少数と来て、
        元よりさして上下関係に厳しい部では無い事から、
        一年の面々はややハメを外して騒いでいたのだが、
        そんな彼らに後方から静かな牽制を向けたのは、
        普段なら、上も下も無く、先頭を切って騒ぐはずの服部平次である。
        「な、何や服部先輩機嫌悪ないか? 試合は勝ったっちゅうのに・・・。」
        「あー、あれやろ、やっぱ・・・。」
        平次に聞こえぬよう、一年生達は小声でささやき合い、
        平次と同じく後方にいる遠山和葉にチラリと視線を走らせた。
        剣道のみならず、探偵としても名をはせる平次を目当てに来る数多の希望者に辟易し、
        改方学園剣道部ではマネージャーは取らない事になっているのだが、
        何かと不便である事から、しょっちゅう頼みにしているのが、
        平次の幼なじみであるこの遠山和葉である。
        本日も彼女は休日返上で、剣道部の練習試合に同行し、
        相手校への挨拶や打ち合わせ、終了後の道場清掃、差し入れに至るまで、
        てきぱきとしたその手腕を発揮し、部員達の面倒を見てくれた訳なのだが、
        発揮されたのが手腕だけではなかったのが今回の問題点である。
        「生徒だけならまだしも、向こうの顧問まで見とれとったもんなぁ。」
        「あー、若かったしなぁ。『またぜひ!!』とか言って遠山先輩の手ぇ握って・・・。」
        「完敗しとってぜひも何もなぁ・・・。」
        「会えればええんやろ。」
        マネージャー同然の人間が、その類い希な魅力を持って、
        他校生のみならず顧問に至るまで魅了し、
        自分達が彼らから羨望の眼差しを受ける分には心地良いし、鼻が高くもあるのだが、
        どうにも困るのが、その後の彼女の幼なじみの機嫌である。
        あからさまに不機嫌になり、誰かれかまわず当たり散らすなどという事はさすがに無いが、
        上機嫌な訳でも決して無く、微妙に気を使わねばならない空気が蔓延する。
        そして、更に問題なのは、原因である当の本人が、
        相手の不機嫌の理由にまったく気づいていないという点で。
        「・・・何偉そうに怒っとんの、あんたの顔の方が余程暑苦しいわ。」
        平次の不機嫌の理由に気づかず、後輩に対する平次の言葉を受けて、
        和葉が歯に衣着せぬ意見を発する。
        「何やと・・・。」
        「あー、ちゃうわ、暑苦しいのは顔だけやなかったなぁ、
        ごめんなぁ、わかりきった事言うてしもて。」
        氷点下の笑みで、平次にそんな言葉を連発する和葉の様子に、
        一年生達は吹き出た汗が凍りつくかの様な錯覚を憶えた。
        「・・・で、遠山先輩の機嫌が悪いのは何でや?」
        「わかりきった事言わせんなや。あれやろ、やっぱ・・・。」
        更に声をひそめ、先程と似た様な会話を繰り返す。
        前述の通りの平次の評判は本日の試合相手の高校でも知れ渡っており、
        道場では平次が練習試合に来る事を聞きつけ、
        休日であるにも関わらず女生徒が鈴なりになっており、
        自分達の高校の応援そっちのけで、相手校である平次に声援を送り、
        改方の完勝を祝うという、女子ならではの薄情ぶりを見せ、
        試合後はまさに、人気タレントを囲むかの様な騒ぎであった。
        それもまた、羨ましさを含みつつも、鼻が高い事ではあるのだが、
        やはり困るのが、彼の幼なじみの機嫌である。
        和葉は平次と違い、他の人間には普段通り、
        もしくは気持ちを隠す為か、普段以上の上機嫌で接してくれる所はありがたいのだが、
        平次に対しては先程の様に、不機嫌さを隠そうともしないので、
        やはり、微妙に気を使わねばならない空気が蔓延する。
        そして、原因である当の本人が、
        相手の不機嫌の理由にまったく気づいていないという点も同じであり、
        これが片方ならまだしも、両方重なってしまった時は、
        周囲の人間は、本日はご愁傷様と言い合うしか術が無い。


        いつもなら、囲まれる平次を何事か理由をつけ、和葉が連れ出す所であるのだが、
        丁度、相手校の顧問に声をかけられ、それもままならず、
        日頃からそういう少女達に対し、特別、愛想が悪い訳でも無い平次を、
        「でれでれして・・・。」と胸中で形容しつつ、
        苦々しい表情を浮かべながら、横目で見ていた訳なのだが、
        そうして、他事に気を取られている隙に、話し相手の顧問に手を握られ、
        別に顧問でも部員でもないにも関わらず、熱い再戦の意を告げられる和葉を、
        「・・・無防備すぎや。」と胸中で形容しつつ、
        何重もの女生徒の輪の中から抜け出せぬまま、
        平次もまた、穏やかならぬ視線を送っていた訳なのだが、
        悲しいかな、その事に気がついているのは、間に挟まれた部員達のみである。
        「だから他校と関わるんは嫌なんや・・・。」
        「ウチの生徒であの二人にちょっかいかける様なアホはおらんけど、
        試合や大会のたんびにこんなんあるもんなぁ。」
        お互いが、「ただの幼なじみ。」と言い張っているにも関わらず、
        服部平次と遠山和葉の二人は、改方学園においては学校一有名な、
        公認の組み合わせと言っても良かった。
        そうして、万人が、「あの人が相手なら仕方ない。」と、
        両名を前にして、両名への想いを諦める程のレベルであるのだが、
        他校生など、二人の関係を知らない者は、片方のみのレベルを目にし、
        冒険心を起こしてしまうから困りものである。