その手の先に 1
「こんなん全然怖い事あれへんよね。」
「う、うん・・・。」
ほがらかに笑いながら100%の本心でそう言った友人に対して、
返した答えは、浮かべた笑顔も合わせて、100%の虚偽である。
「遠山じゃあ、お化けの方が逃げ出すもんな〜。」
そんな和葉の胸中には気づかず、
会話を聞きつけた前方の少年が振り返って悪態を漏らす。
お化けも逃げ出す、というのは、
赤いリボンのポニーテルが良く似合う、
小学生ながらにくっきりとした目鼻立ちで、
周囲の大人達が揃って「お人形さんみたいやね。」と言うその容姿の事ではもちろん無く、
「うっさいわ!!」
と、すぐさま大声で言い返してしまうその性格故の意見であり、
前述の大人達の意見にも「黙っとったら」という前置きがもれなく添付される。
そんな性格が完成しつつある小学校低学年の夏休み。
夏祭りの余興として、町内会が用意した特設のお化け屋敷に、
その場に居合わせたクラスメートの面々で乗り込もうという話になっても、
「怖いからやめておく。」などとは無論言えるはずもなく、
和葉は仲良しの女の子二人と共に、浮かぶ冷や汗を隠しつつ、
意気揚々と順番を待つ三人の少年の後ろに並んでいた。
怖いのは苦手。
その原因が何処にあるか、和葉自身にもまったく見当がつかないが、
恐怖を与える類の物は、映像から話から、とにかく無条件に苦手であり、
無論、お化け屋敷とてその例にもれない。
とはいえ、恐がり故に入った事も無かったのだが、
町内会の人間が、精一杯それなりに見えるよう、
無い絵心を振り絞って懸命に描いたと思われる、
稚拙な看板を見ただけで充分恐怖を感じている程なのだ。
経験が無いだけに余計、中で繰り広げられている出来事は想像もつかない程に恐ろしく思える。
逃げるなら今。
そんな考えが脳裏をかすめたが、
先程の少年のあざける様な笑顔が見える様で、
和葉は回って来た順番に密かなため息を漏らしつつ、ゆっくりと入り口の方へと進んだ。
「じゃあ次は・・・おーう、チビの六人組か、勇敢やなぁ、怖いで〜。」
どちらかと言えば小学校の高学年生や中学生がほとんどをしめる列で、
嬉しそうに町内会から配給されたチケットを渡す小さな子供達に、
もぎりをつとめるうどん屋の店主が脅かす様にそう言ってカラカラと笑う。
「おっちゃんが暗闇から顔出さんかったら大丈夫や。」
知り合い故の軽口を叩きつつ、中へと進む少年達に和葉の友人達も習ったが、
一番後に中に入りかけた和葉に、前を進んでいた少年の一人が足を止めて並ぴ、
「やめといた方がええんとちゃうか。」
と、小さくつぶやいた。
「なっ・・・。」
驚いて相手を見れば、現在居合わせているどのクラスメートよりも付き合いの長い、
幼なじみの服部平次である。
てっきり、お化けが逃げ出すという、先程の少年の言葉を受け、
お化けの肩を持つ様な台詞でからかわれているのかと考えて和葉は怒鳴りかけたが、
いつもなら先程の少年以上の悪態を告げるその相手は、
意外にも真剣な表情を浮かべており、そのまっすぐな瞳に和葉は戸惑った。
「な、何言うとんの、やめたりせぇへんよ。」
冷静を装って、和葉は平次に言葉を返す。
「さよか。」
和葉の言葉に、肩をすくめて短くそうつぶやくと、
平次は少年達を追いかけて中へと行ってしまった。
「何やの・・・?」
幼なじみの言葉の訳を考えようと首をひねりかけたが、
その時にはすでに、お化け屋敷の中に入った自分の体を闇が包み込んでいた。
「・・・・・・!!」
「ぎゃーーーーーーっ!!」
暗闇に脅える間も無いままに、前方から男女入り混じった悲鳴が響き渡る。
「えっ? えっ?」
状況判断がつかないまま、和葉は辺りを見渡したが、
一緒に入ったはずの友人が一人も見あたらないのは、
まだ目の慣れぬ暗闇のせいでは無かった。
「な、何でぇ?」
五人もの友人が一度に消えてしまった状況に混乱しつつ、
前へと進む和葉の床下が、何の前触れも無く、グラグラと揺れる。
「・・・・・・!!」
なるほど、先を歩いていた友人達は、出入りばなのこの仕掛けに驚かされ、
互いの叫び声に混乱し、思わず駆け出して行ってしまったのか。
・・・と、冷静な判断が出来れば苦労はしない。
和葉は恐らくはその友人達以上に驚いて、声にならない悲鳴を上げながら駆け出した。
そのまま床の動かぬ場所まで走り、ようやく暗闇に目が慣れた頃、
「大丈夫?」
と、頭上から優しげな女の人の声が聞こえた時は、天にも昇る気持ちだった。
きっと、子供を連れて入ったお母さんあたりが、
脅える自分を気遣って声をかけてくれたのだろう。
「は・・・」
笑顔で答えようと、持ち上げた表情が一瞬で固まる。
大人の女性、ではあった。
夏祭りの最中なのだから、浴衣を着ているのもおかしくはない。
おろした髪の毛がボサボサなのだって、それは身だしなみに無頓着とか、そういう事なのだろう。
しかし、
その顔が、むきたてのゆで卵の様に、つるりと何にも無い事だけは、
どうにも説明がつかなかった。
「ひっ・・・!!」
「私のね、顔がね、どこかにね、行ってしまったの・・・。」
真っ白になった頭には、悦に入ってのっぺらぼうの演技を始める女性の声が、
先程のうどん屋の店主の娘の声と酷似している事などは思いつきもしない。
何処からか来た不可解な生物。
そんな考えだけを胸に、和葉は逃げだそうと走りかけたが、
「一緒に探してくれないの・・・?」
その和葉の腕をつかみ、顔の無い女は尚も言い募る。
「・・・・・・。」
あまりの恐怖に、和葉は気を失いかけた。
そのまま後方へと下がりかけた肩を、
ふいに現れた何者かがささえ、
「やりすぎや。」
と、和葉の腕を取る、女の手を振り払い、不機嫌な一言を発する。
「えっ? あー、ごめんごめん、うちやってわかるかと思うて!!
和葉ちゃん? 堪忍なぁ、ほら、うちやで〜、うどん屋の時ちゃん!!」
「え・・・?」
正体不明ではあるが、不思議と恐怖を感じない、暖かな腕に背中を支えられつつ、
暗闇に似合わぬ明るい声に失いかけた意識を取り戻してみれば、
眼前ではラバー素材のお面を外した、
顔見知りであるうどん屋の娘の時子が申し訳無さそうに苦笑いを浮かべていた。
「とき・・・ちゃん・・・?」
「そそそ、時ちゃんやで〜。
ごめんなぁ、和葉ちゃんが怖いのあかんって知らんで、調子に乗ってしもて・・・。
平ちゃんに怒られてしもたわ。」
「平・・・?」
時子の言葉に頭を上げて見てみれば、
そこには、自分の体を支えた平次が、自分から視線をそらす様にして立っていた。
「ほんまにごめんな。
ほんなら、うちは持ち場に戻るさかい、この先長いけど頑張りや。
まぁ、和葉ちゃんには小さな騎士さんがついとるから大丈夫やろうけど。」
そう言って時子は、平次に意味ありげな笑みを送ると暗闇へと消えて行ってしまった。
「・・・・・・。」
時子の言葉に平次は居心地が悪そうに引き結んだ口をむずむずと動かし、眉をしかめたが、
今一つ状況の把握出来ていない和葉はぼんやりとしている。
「おい、しゃんとせぇ。」
おおよそ気づかいとは無縁な言葉を和葉の耳元で告げつつ、
平次はまだ少しふらついている和葉の体を支えた手で直立させた。
「・・・せやから、やめといた方がええって言うたやろ。」
「なっ・・・。」
自分を支える平次の口から続いて発せられた、呆れた様なその声に、
反射的に言い返そうとして、
和葉は先程の平次の言葉の真の意味を悟る。
あれは、自分が怖がっている事を察して、言ってくれた言葉なのだろうか。
「わ、わかったん・・・?」
それでもはっきりとした単語は出せぬまま、和葉が疑問点だけを口にすると、
平次は何を当たり前の事を、とでも言う様な視線を和葉に送った。
「アホ、俺は探偵やぞ? そうやのうてもあんなん丸わかりや。
他の奴らは興奮しとって気づかんかったみたいやけどな。」
「・・・・・・。」
恥ずかしさと、悔しさと、そしてもう一つ、
胸の中で入り混じった感情をどう扱って良いかわからぬまま、和葉は押し黙った。
支えたままの手の中で、うなだれたようになる、そんな和葉を扱いかねつつも、
平次は、ぽん、ぽん、と、慣れない、ひどく不器用な手つきで、
和葉の背中をあやすように二度、軽く叩いた。
「なん・・・!!」
まるで赤ん坊に接する様なその態度に、
和葉は怒って平次の手を振り払いかけたが、
同時に、ひどく安心している自分に気がつく。
そういえば先程も、平次はわざわざ戻って来てくれたのではないだろうか。
「平次・・・先に行っとったんとちゃうの? ・・・戻って来てくれたん?」
思わず率直に、そんな言葉をもらすと、平次は怒った様に和葉から視線をそらし、
「・・・アホみたいな叫び声が聞こえたからな。」
と、怖くて声すら上げられなかった和葉に対しうそぶいた。
「うん・・・ありがとぉ。」
随分混乱していた為、自分が叫んだかどうかなど、
まるで記憶に無い和葉は、平次の言葉を額面通りに受け取り、
それでも、自分でも驚く程素直に、平次に対して礼を述べていた。
「・・・ほんなら、行くで。」
そんな和葉の言葉に、びっくりした様に目を見開き、慌てて和葉から離れると、
平次は和葉を促して歩き出した。
習って歩き出そうとした和葉だったが、
目の前に広がる暗闇と、その中から響く、正体不明の叫び声に、思わず身がすくむ。
「・・・平次。」
「何や。」
「あの、あのな・・・つかまとったら、あかん?」
「・・・・・・。」
恐怖心がそうさせている事は百も承知だったが、
普段と違う和葉のそんな態度に、平次は二の句が次げない程に狼狽した。
普段なら、からかいで返す事も、甘えるなと怒る事も、照れから拒絶する事も可能だったろう。
けれど、普段と違う和葉に、甘える様に自分を見上げる、この小さな存在には、
そのいずれも選択する事は出来ず、平次は、
「お、う。」
と、自分でもそうとわかるぎこちない言葉を発し、
同じくぎこちない動作で和葉に向かって腕を差し出した。
そうして、
平次の腕を取った和葉は、誘導者を頼りに目をつぶり、
結局、町内会の人間が苦心惨憺した仕掛けの数々を出口まで一つとして見る事無く、
お化け屋敷探訪を終局させた。
思いの外怖かったのか、出口でくたびれた様に座り込む友人達と再会し、
彼らに見とがめられぬ内に、どちらからともなくお互いから離れた直後、
和葉は平次がからかいと共に、
仲間達に中での和葉の様子を告げるかと思ったが、
平次はまるで何事も無かった様に、
次は何で遊ぶかと、チケットを見ながら仲間達に声をかけている。
中での態度と相俟って、
まだ身長も体型もさして変わらない幼なじみが、
幾分大人に思えた瞬間だった。