新緑に恋を知る 5
「へぇ、葛城君と同じクラスなん。」
「はい、親友です。」
葛城から和葉の事を聞いた経緯を話し、臆面も無くそう言うと、
「一週間で?」と和葉は面白そうに笑った。
少し遅れてやって来た和葉は、資料室の端末で、
図書室の蔵書リストの図鑑の項を、
種類別・五十音別に並べ替え、プリントアウトしてくれていた。
自分達で頭を悩ませずとも、それを見て本を本棚に入れていけば良いだけである。
和葉の気づかいと適切な処置に感嘆しつつも、
思ったより作業が早く終わってしまいそうな事はどこか淋しかった。
でも、お礼と称してファーストフードあたりに誘うのも良いかもしれない。
何事もプラス思考、それは自分の長所と考えていた。
「葛城が、剣道部に有名な人がいるって言ってて、
ウチの姉も改方には有名な人がいるって言ってたんですけど、同じ人ですかね。」
床にばらまかれた図鑑を分類しながら、そんな疑問を口にする。
ふと、作業をする和葉の手が止まった様な気がするのは気のせいだろうか。
「・・・多分、そうなんちゃう?」
「へぇ、強いんですか、やっぱ。」
「せやね、強いよ。・・・今一つ、集中力が足らんようやけど。」
きっぱりと言い切って、その後苦笑いまじりにそう付け加えるその口調は、
どこか親しさを感じさせた。
その有名人は、二年で、和葉とも親しいのだろうか。
マネージャーめいた事をしている事も踏まえて、そんな質問を返そうとすると、
「龍之介君は、部活とかしとらんの?」
と、逆に和葉から質問を返された。
「いや〜、他に色々忙しくて。」
万年帰宅部の常として、龍之介はそう言って曖昧に笑ってみせた。
「勉強・・・や無いな、女の子やろ? 龍之介君モテそうやもんね。」
龍之介の答えに、見透かす様にそう言ってみせて、和葉が笑う。
何の含みも無いその意見に、少々気分が下降するものの、
逆にこれは良い会話の流れでは? などとも思う。
「・・・先輩こそ、モテそうじゃないですか。」
「あたしが? 17年間独り身やでー。」
探るような龍之介の言葉に心底意外そうな声を上げ、
冗談めかしてそんな事を言って笑う和葉の言葉に、
大阪の男はどうかしてるんじゃないかと、龍之介は真面目に悩んだ。
「・・・じゃあ、好きな人とかは。」
「何や、尋問みたいやねぇ。」
自然な流れだよなと考え、続けて発する龍之介の言葉に、
和葉は苦笑いを浮かべ、そんな事を言ってみせたが、
特別気分を害した風も無く、やや間を置いて、
「・・・おるよ。」
と静かに答えた。
遠くから、野球部の金属バットの音が綺麗に響く。快音だ。
不思議とショックは受けなかった。
彼氏じゃないんだし、恋してない人間の方が少ない様な年頃なんだし。
けれど、そう答えた瞬間の、
何とも満ち足りた様なその眼差しと、静かで深い笑みは、
龍之介の心を動揺させるのには充分で。
「へぇー、でも先輩みたいな人なら、あっと言う間に両想いっぽいけどなぁ。」
そう、平静を装って、相手が不審に思わない程度の間隔で、返事を返すのがやっとだった。
「・・・・・・。」
当たり障りの無い、龍之介の言葉に、和葉が一瞬黙り込む。
動揺を悟られまいと、本棚の方に向けていた視線を、その沈黙により再び戻すと、
和葉は深海魚の図鑑を五冊、丁寧に棚に入れ、龍之介の方を向いた。
スローモーションの様な一時。
ゆっくりと、和葉が口を開く。
「・・・おおきに。でも、その人は、あたしの事なんて、何とも思っとらんよ。」
さらりと言おうとしていても、一語一語を噛みしめる様にになってしまう口調。
唇は綺麗な笑みを浮かべたまま、
けれど瞳は、泣き出す一歩前の様な、切ない光り。
その表情に、何故だが無性に泣きたくなったのは龍之介の方だった。
恋を、した。
今までもたくさんの恋をして来た。
和葉に抱いた気持ちも、今までの恋以上と考えながらも、
それらと同一線上にあるはずだった。
外見の美しさとか、
それでいて気取らない性格とか、
面倒見の良さとか、
軽口や冗談を返す時のよく動く可愛い表情とか、
そんな瞬間に感じた、胸の高鳴りは、小さかれ、今までもあったはずだった。
けれど、
和葉の、あの言葉を聞いた瞬間の、
甘くうずいた胸の痛みと、
あの表情を見た瞬間の、
見知らぬ誰かへの嫉妬心は、
絶対に知らない。
知らなかった。
他の誰かを好きな人間を好きになる事は無かったし、
そういうものなんだと思っていた。
横恋慕とか嫉妬とか、そういう事をしなくても、恋は成立するものだと思っていた。
けれど、違う。
そこまでの恋に、今まで出会わなかった。それだけなのだ。
恋を、した。