新緑に恋を知る 4
「・・・で、本棚を倒し、傷だらけになり、
松島先生に用を言いつけられ、恋をしたと。
・・・加藤君、君、一時間の内に大冒険だね。」
昼休み、擦り傷だらけの自分に心配そうな声をかけて来る美里とはるかを、
愛想だけは忘れずにやんわりと遠ざけ、
龍之介は学級委員である葛城士朗を学食に誘った。
士朗は学級委員というだけで無く、中学までは東京にいたという事もあり、
転校して来た時から一番接する機会の多い生徒である。
今は、近づきつつある放課後に、上昇して行く龍之介の機嫌に反応し、
一通りの話を聞いた上で、士朗はそんな感想を述べてみせた。
小柄で、愛想が良く、女生徒からは可愛いと言われる容姿で、
見るからに育ちの良さそうな雰囲気をかもし出しているが、
どこか食えない、そんな印象を与える。
そもそも東京人だって、そんなしゃべり方しねぇよと、
まるでドラマの優等生の様な士朗の口調に心の中でツッコミを入れつつも、
龍之介は自分で自分を底の浅い人間だと充分に理解しているので、
そんな士朗には、友人としてどこか惹かれる部分があった。
「それでクラスの女の子に対する態度が変わった訳だ。
わかりやすいね、人間性を疑う手のひらの返し様だね。」
さして変わったとも思えない、龍之介のはるか達に対する態度を踏まえた上で、
「良い天気だね。」とでも言うように、サラリとそんな事を言ってのけるから、
やはりあなどれない。
龍之介自身、そんなに態度を変化させたつもりは無いが、
あの一時間目の前と後とでは確かに彼女達への心は変化していたので、
怒る事はせず、面目無さそうな笑みを浮かべる。
「だーってなぁ、すげぇタイプだったんだもん、仕方ねぇじゃん。」
「相沢さんと栗原さんはまったく別のタイプだったと思うけど、
君にも一応タイプがあるんだ。」
「うわ、俺の狙い所もわかってた訳? すげぇなお前。
いやー、でもなー、すべてを覆したわあの人、
ホームラン、クリティカル、今週のビックリドッキリ女子。」
支離滅裂な言葉を述べ、かの人の思い出に浸る龍之介に、士朗は薄い笑みを見せた。
軽佻浮薄を絵に描いた様な存在ではあるが、
そんな自分をきちんとわかっているらしく、多少の嫌味や皮肉には動じない。
そんな部分には人間性の広さが感じられて、好感が持てた。
「とにかく良いんだよー、遠山先輩。」
「・・・は?」
恍惚となり、和葉の名前を口にした途端、
目の前で牛丼にカツカレーに小倉ホイップあんパンにフルーツ牛乳という、
小柄な外見に似合わず、胃拡張と胸焼け、
重ねて口の中が気持ち悪くなりそうなメニューをたいらげていた士朗がその動きを止める。
「遠山先輩。知ってんの、お前。」
「・・・ああ、僕、剣道部だから、そこで・・・。」
「何、あの人マネージャー?」
士朗が剣道部というのは知っていたし、またしても、その小柄な外見に似合わず、
かなりの腕前だという事も、他の男子生徒から聞いていた。
しかし、今重要なのはその事よりも、和葉と剣道部の関係である。
運動部のマネージャーならば、保健室のあの腕前も、納得がいくというものだが。
「いや、うちの部、マネージャーは取らないんだよ。」
「何で。」
「うーん、ちょっと有名な人がいてさ、
前にその人目当てにマネージャーの応募が殺到したらしくて、それ以来ね。
でもまぁ、いないと不便って事もあって、遠山先輩はたまに色々手伝ってくれるんだ。」
「ふーん・・・・・・そこに彼氏がいるとか?」
有名な人、という言葉に、今朝方の姉の言葉を思い出し、
同一人物なのかと、思考の端で一瞬考えはしたものの、
それより何より、何故和葉がそんな事をしているかという事が現在の最優先時効で、
導き出された答えは、つまる所、それであった。
不機嫌になりつつも、あんな美人ならやっぱりなーという感情も、確かにある。
むしろ、出会った瞬間から、常にあったのだろうが、
意図的に思考から振り払っていたとも言える。
「いや、遠山先輩、彼氏はいないけど。」
「うっそ。」
「本当だよ。今までそんな話、聞いた事無いし。」
落ち込みかけていた気力が、士朗の言葉で一気に上昇する。
ありがとう、大阪、ありがとう、彼女の周りの、行動力の無い男達よ。
「でも、やめておいた方が良いと思うよ、遠山先輩は。」
「何、性格悪いとか?」
気の強そうな印象はあったものの、そういう印象は受けなかった。
けれど美人の性格があまりよろしくないというのは、
結構高い確率だと、龍之介のデータが告げている。
過去も外見に騙された、手痛い経験は多々あり、
相沢美里などは、そのタイプではと考え、栗原はるかに惹かれたりもしたのだが。
「いや、君みたいなタイプにしては、お目が高いとしか言い様の無い程、
遠山先輩は性格も美人です。」
またしても無礼な言葉を含めつつ、士朗が和葉の性格に太鼓判を押す。
龍之介はその言葉に水を得た魚のごとく、満面の笑みを浮かべ、
「あー、だから俺みたいなタイプにはもったいないとかそういうやつ?
まぁなぁ。でも一度しか無い人生、自分気持ちに素直に生きたいっつーか。」
「素直すぎだよ君。いや、だからね、」
「いや、わかってる、競争率高いっつーんだろ?
でもホラ、恋は燃えるの、だからこそ♪ って、沖野ヨーコも歌ってんじゃん!!」
「いや、知らないし。」
士朗が律儀にツッコミを入れるのにも関わらず、
龍之介のテンションはどんどんと上がって行く。
これが関東のお笑いかと、学食にいる周囲の生徒達が間違った認識で二人を見ていた。
人当たりは良いがどこか無気力で、部活等にも興味が無いと言っていた龍之介なので、
何か夢中になれる事が出来たのは、まぁ、良い傾向かと考え、士朗は口をつぐんだ。
何より、面白い。
「じゃ、先行ってるぜ。」
食べ終わった食器を片づけ、龍之介は放課後までの最後の一時間と戦うべく、
浮き足だって食堂を後にして行く。
その後ろ姿をながめながら、
「・・・ま、忠告はしたって事で。」
そんな一言をつぶやいて、葛城士朗は食事を再開した。
「おう転入生、新しい本棚入れ終わったで。
三井先生にも上手く言うといたからな、よろしく頼むわ。」
放課後、すべての物事を振り切って図書室に向かうと、
松島が古い本棚を運び出す、数人の業者の人間を見送っている所だった。
社会科教師である松島は、管轄外なのだから、
本来、本棚の搬入作業にまで立ち会う事は無いと思うのだが、
すべての作業を自分が行う事で、
朝の交換条件を守ろうとしてくれているのだろう。
確かに、ここに他の教師がいれば、龍之介が作業をする事に対する説明は必要だったはずだ。
そんな事も踏まえて礼を述べると、
「何寝言言うてんねん。きっちり仕事せんかったらしばくぞ。」
と、一喝された。読めない人物である。
「さて・・・。」
「あ、そのままで良いですよ、人来ると作業に集中出来ないし。」
本棚の搬入作業の為、入り口に張ってあった立ち入り禁止のマグネットシートを、
松島がはがそうとするのを止めて、龍之介がそう言うと、
「あん? あないな所にそうそう人は・・・。
・・・はーん・・・。」
一瞬、いぶかしそうにしたものの、松島は悟ったりとでも言う様に、
あごに手をかけて、にやにやと笑い出した。
「な、何ですか。」
その中に、打算がはっきりと存在した龍之介の声は、思わず上擦ってしまう。
「まぁなぁ、気持ちはわかるけど、身の程知らずっちゅうか・・・。
ま、おもろいからこのままにしといたるわ。
ほな、終わったら職員室に言いに来いや。」
心底面白そうにそう言うと、立ち入り禁止の札を保留にし、
赤くなった龍之介にひらひらと手を振り、松島はその場を去った。
廊下の端からは、丁度和葉がやって来た所である。