新緑に恋を知る 2
のびやかで快活なのは、生徒だけでは無いらしい、
現れない現国教師は、セールの行われるスーパーに開店前から並んでいたとか、
購買部の奥座敷で寝ていたとか、そんな噂がまことしやかに流れ、
月曜の一時間目という、だるい事この上ない時間は自習となった。
級友達の喜びの声を背中に聞きながら、龍之介は図書室に向かった。
本が好きな訳では無く、手っ取り早く、人気の無さそうな場所を選んだまでである。
一年の教室から歩いて数分、
朝日にホコリが踊る室内は、想像通り人気は無く、
司書も不在のカウンターに安心しつつ、閲覧用の机の間を抜け、
奥でひしめき合っている本棚へと向かう。
いまだクラスに馴染めぬ転入生が、
自習だからといって、話す相手も無く、淋しげに図書室へ向かう。
人によってはそんな風に映るかもしれない龍之介の行動だったが、
実を言えば、
「相沢も良いけど、栗原も捨てがたいしな〜。」
彼にとっての真剣な悩みは、本棚の間を乾いて流れた。
相沢美里、クラスでも目立つタイプの派手な美少女は、
転入当初から龍之介に目をつけていたのか、
休み時間の度に友人達を引き連れ、
何くれとなく話しかけて来ては、わかりやすいアプローチをしかけて来る、
特別苦労をせずとも人並み以上の成果。
それは恋愛方面に関しても同じらしく、まぁ外見には気を配っている方だが、
こと異性に関しても、昔から、言ってしまえば、「切らした事が無い。」
もっともこれには、長続きしないという事実も加わり、
後腐れ無く、後ろ髪を引かない、今回の転入がそれを如実に物語っていた。
先程の自習時間も、放課後に誘いをかけるべく、
美里が自分の所にやって来るのは目に見えていたが、
栗原はるか、隣りの席に座り、何かと親切にしてくれる、
ふわふわとした、可愛い印象の美少女も捨てがたい。
彼女の横で、美里からの誘いに乗るという、決定打をかまして良いものか考えた挙げ句、
取りあえずは保留と考え、図書室に逃げ込んだ次第である。
ま、女の子と仲良くしすぎて、野郎に睨まれてもめんどいし〜。
波風立てず、楽して生きようマイライフ。
そんな座右の銘に従い、龍之介はこの一時間を読書という、
おおよそ自分の性格には似つかわしくない行為で埋める事に決めた。
かと言って、普段本を読まない人間は、
高校の設備とは思えない程の蔵書を誇っている図書室の中にいても、
マンガ雑誌やスポーツ新聞の無い事に肩をすくめる事しか出来ない。
まぁ、今後二度と利用する事は無いかもしれないし、良い機会かも。
と考え、本棚の間をすり抜けながら、ふと思い出す。
花の名前。
朝見かけたあの樹木の花、あれの名前を調べてみようかと思い立つ。
いつか一緒に登下校する事になる相手に披露して見せたら、俺ってロマンチストー?
でもこれは相沢より栗原に効果的だな〜。
などと、動機は甚だ不純ではあるのだが。
「図鑑」と表記してある棚を探し出す為に動き回る事数分、
図書室でも、あまり使用されない部類の棚らしいいそれは、
廊下側の奥に位置し、気のせいか、他の本棚より幾分痛んで見えた。
「よっ・・・。」
身長173cmの龍之介が手を伸ばしてやっと、
という場所にある植物図鑑に手をかけ、きっちりと詰め込まれたそれを引っ張る。
一度で抜けない本に、半ば意地になりながら力を込める。
ぎしいっと、木のきしむ、嫌な音。
老朽化した本棚。
よくよく考えれば、予感はあったのだ。
しかし、気づくのが遅かった。
壁と本棚を固定する部分が音を立てて見事に外れ、
次の瞬間、本棚は龍之介を目がけて、大々的に雪崩れた。
「でぇーーーーーーっ!!」
社会科準備室から、授業で使う資料を運んでいた社会科教師の松島と、
日直という事で付き合わされた一人の女生徒は、
通りかかった図書室から聞こえた、尋常ならざる声に目を合わせ、
次の瞬間には目の前の扉から中へと飛び込んだ。
カウンターに資料を置き、室内を奥へと進み、そこで目にしたものは。
倒れた本棚。
もっとも、手前にある本棚に差し止められ、
それは格好の悪い「人」の形を描いて、床を知る事無く止まってはいたが、
その下にある、本物の「人」は、更に格好の悪い形を描いて、
本棚から見事なまでにこぼれ落ちた、図鑑の数々に、
これまた見事なまでに埋もれていた。
「おーい、生きとるかー。」
「って、先生、はよ助けんと・・・。」
松島の間延びした声と、それを制する女生徒の声に、
龍之介は一瞬飛びかけた意識を必死で呼び起こした。
「痛ぇ・・・。」
ゴツゴツと、体を取り巻く本が、起きあがる作業の邪魔をする。
よりにもよって図鑑というのが、我ながら腹立たしい。
「声出りゃ上等や。
あ〜、この本棚なぁ、前に他のん入れ替えた時はマシやったから、
そのままにしといたらしいんやけど、今頃ガタが来よったか。
やっぱバランス考えて、何事も総入れ替えせんとあかんなぁ。」
中身を無くした本棚を女生徒ともに起こし、龍之介を助け起こしながら、
そんな事を言って、松島がカラカラと笑う。
「笑い事じゃないっすよ・・・。」
まだ体中がズキズキする。助け起こされつつも、その場にあぐらをかいて座り、
龍之介は笑う松島に苦言を漏らした。
「あん? お前一年の転入生やろ、
自習やからってこんな所におるからバチ当たるんやで。」
職員室で龍之介の担任の隣席である松島は、
龍之介にも覚えがあるらしく、龍之介のクラスの時間割を把握した上で、
責める訳でも無い、面白そうな口調でそんな事を言ってのけた。
「・・・孤独な転校生なもんで、クラスに居場所が無かったんですよ。」
「は、そんな頭して、眉毛いじっとる奴にそんなタイプはおらんわ。」
龍之介の軽口に、松島は彼の程良く色が抜かれ、ワックスによって踊った頭と、
その辺の女生徒よりもきちんと整えられた眉を示唆して、笑いを深めてみせた。
こういう応酬の出来る相手は、嫌いでは無いらしい。
「ま、居場所無いんやったら、仕事与えたるわ。
放課後までには業者に新しい棚発注しとくから、
お前、今日残ってこれ入れ替えとけ。」
「ええっ!?」
「お前の担任、現国の多田先生、加えて司書の三井先生、なかなかに怖いで〜?」
不慮の事故、棚が痛んでいた事もあり、どちらかと言えば被害者ではあるのだが、
自習とはいえ、教室を抜け出していた事実は否めない。
大人しく新しい棚に本を入れ替えれば各教師には黙っておく。
そんな事を示唆する、松島の口振りに、言い返せるはずも無く、
龍之介は渋々首を縦に振った。
が、
自分の周りに山を作っている、この図鑑達は、一体何冊に上るのだろう。
考えただけで、ただでさえ痛い体中の痛みと共に、頭まで痛くなって来る。
「ま、一人じゃ大変やろうし、
お前一人やったら分類別・五十音順も意識せんやろうしな、相棒つけたるわ、
・・・遠山。」
「へっ!? あたしですか!?」
確かに、ただ床に落ちた本を詰め込めば良いと考えていた龍之介の性格を読んでか、
松島が不敵な笑みを漏らし、そんな言葉を口にした。
名前を呼ばれたのは、先程、松島と共に図書室に飛び込んで来た女生徒である。
教師と生徒のやり取りに、口出し無用と考えたのか、
彼女は龍之介の周りから本を取りのける作業に集中していたが、
ふいに名前を呼ばれ、その顔を上げた。
ズキズキと痛む体に、松島を見る事すら面倒だった龍之介も、
初めてその顔を上げ、女生徒と視線を合わせる事になる。
それが、遠山和葉との出会いだった。