新緑に恋を知る 1
「何かねぇ、あんたの高校、結構レベル高いらしいよ〜。
隣りのおばさんがすっごい誉めてた。」
前の高校もレベル高かったっつーの。
キッチンから聞こえる、だるそうな姉の声に心の中で言い返して、
龍之介は洗面台の脇に置いたクラッカーを口に詰め込んだ。
姉が隣人に聞くまで、自分の転入した高校のレベルを知らなかった様に、
彼も姉の通う私大の名前すら知らない。
唇にそんな言葉を乗せながらも、
彼女の興味のほとんどががテレビの星座占いにある事はわかっていたし、
自分はと言えば、朝食もおざなりに、
鏡の中の自分の髪型を理想に近づける為、目下、ドライヤーと格闘中である。
星座占いの終了を告げる声を耳に受け、彼は諦めてドライヤーのスイッチを切った。
「そんでねぇ、何かすごい有名な子がいるんだって。何が有名なのかは聞かなかったけど。」
「夜、あんま遅くなるなよ、親父の機嫌が悪くなって、俺がとばっちり食う。」
かみ合わない会話を姉と交わして、龍之介は家を出た。
高校生レベルで有名なんてたかが知れてる。
水泳か、陸上か、その筋だろう。
ニューモデルのスニーカーに興味はあっても、スポーツ全般に興味は無かったし、
親の転勤に伴う、東京から大阪への転校で、彼がその高校を選んだのは、
ただ単に、新しい家から近かった、それだけである。
偏差値の高さは聞いていたが、
昔から、特別苦労をせずとも人並み以上の成果、そんな人生を歩んで来た。
前の高校でぜひとも勉強したい事があった訳でも、
今度の高校でぜひともやりたい事がある訳でも無い、
ただ単に、入れ物が変わっただけである。
目的を持って入った訳では無い高校にどんな有名人がいたとしても、
それは興味の対象にも、競争相手にも、決してなるはずは無く、
テレビが来たら映るかな、その程度の事である。
家から数分歩いただけで視界に入る校舎に、
過去の自分の選択をつくづく讃え、緩やかな坂道を上る。
登校途中の生徒が数人、立夏の風を受けながら、のんびりと歩く彼を追い越して行く。
府内屈指の有名校である割には、生徒達は皆、のびやかで快活な雰囲気をまとっている。
確かに、転入して一週間になるが、
学業においても、校則においても、教師達が口うるさく言っているのを目にした事が無い。
かと言って、目に見えて乱れた部分が無いのはさすがと言うべきか。
生徒の自主性を尊重し、自由な校風の下、文武両道を目指し・・・
編入時、教師が滔々と語った、校風にまつわる一文を思い出そうとした矢先、
甘い風が鼻孔に流れた。
見上げれば、通学路に間隔を置いて植えられた、背の高い木々には、
子供の手のひらくらいの大きさの、幾分若い花が、ゆっくりと開花しつつある。
緑がかった白い花と、薄い紅の花は、
同じ種類であり、交互に植えられている様だったが、
一カ所だけ間違えたのか、白が続いているのが妙な笑いを誘った。
花の名前を考えかけて、
母親が丹精したアマリリスをツツジ、
姉が持ち帰ったガーベラを菊と評して以来、
花については語るなと、家族からきつく言い渡された事を思い出す。
チューリップ、朝顔、ひまわり、菜の花、ヒヤシンス、ヘチマ・・・。
どうにも自分が判別出来る花は、小学校の理科の時間に育てた花だけらしい。
更に頑張っても、桜とバラとタンポポしか思いつかず、
もとよりさして興味があった訳では無いと諦めて、
龍之介は差し掛かった校門を通り抜けた。
私立改方学園。
一週間前からの、彼の在籍校である。