南の島の竜の鱗 1
小さな島とはいえ、半周すれば息も上がる。
入水しかねないと踏んだ容疑者は、もしかすると森の中へ逃げ込んだのではないかと、
砂浜にて、和葉と蘭が顔を見合わせた時だった。
「おーい!! 二人共こっちだ!! 犯人は別にいたんだよ!!」
二手に分かれていた竹富と池間が進行方向から走って現れ、和葉達に手を振る。
「本当ですか!?」
「ああ、とにかく向こうへ・・・今森の中で服部君が・・・。」
「って事はコナン君、また・・・!!」
「お、おい君・・・。」
竹富の言葉を聞き終えぬ内に蘭が走り出す。
平次が犯人と向き合っているのだとすれば、
彼にくっついていたコナンもまた、その場にいるのだろう。
「危ない事しちゃ駄目だって言ってるのに。」と、
加速する蘭に、竹富も慌てて続いた。
「平次・・・。」
一瞬、蘭に気圧された形となった和葉だが、
平次が犯人と接触しているという竹富の言葉には、
蘭同様の心配を胸に、一呼吸遅れて砂地を蹴った。
犯人が別にいたというのなら、最初に告げた容疑者は、真犯人をあぶり出す為のフェイクだったのだろうか。
それは探偵としては高度な技術ではあるが、同時に危険な賭けでもある。
追い詰められて、逆上した犯人が、窮鼠の如き暴挙に出かねない。
どうにも西の名探偵は危険な賭けに出すぎるきらいがある。
その考えと、もどかしく足を取る砂地に対し、和葉は唇を噛みしめた。
「・・・それじゃあ何かよ、あいつは真犯人を引っ掛ける為に利用されたって事か?」
蘭と竹富から遅れる事数メートル、
ふいに、和葉の隣を走っていた池間伸朗が、和葉に聞くともなしにそんな言葉をつぶやいた。
先程までは、友人が犯人かもしれないという事に青ざめた表情を浮かべていた伸朗だったが、
今は幾分生気の戻った顔で、和葉同様に思い当たったらしき事柄に対し、怒りを露わにしている。
「・・・協力、してくれたんとちゃうの?」
友人の事を思っているのだろうが、利用というのは言葉が悪い。
とは言え、実状を知らない和葉には、そう返すのが精一杯だった。
実際、その彼もまた、別な罪の一端を背負っているのだが、今現在の二人にそれを知る術はない。
「はん、随分肩持つんだな。
だいたい、こんな時に放っておかれて平気なのかよ!?」
池間伸朗はもともと、服部平次に対して良い感情を持ち合わせていない。
原因はと問われれば、真横を走るこの少女にあるのだが、
疲労と空腹により、自分でも空回りしていると感じる苛立ちを、
平次をかばう形をもって高校生である和葉にやんわりとたしなめられ、その苛立ちはますますつのった。
「・・・別にあたしはそんなんとちゃうけど、」
放っておくというのは、恋人とか、そういう関係を前提にしている様に思える。
知り合いたての伸朗にまで、ご丁寧に「ただの幼なじみ」と宣言してくれた平次の事を思い出しつつ、
和葉は少しふくれてそんな前置きをしたが、
「こんな状況で女の事考えてる様な人、嫌やわ、あたし。」
続けてそう告げた瞳はまっすぐだった。
「・・・・・・。」
それはただ単に、伸朗の言葉に対する反論だったのだが、
服部平次を想っていると、暗にわかる言葉の元、
まるで自分がそういう人間だと言われた様に卑屈な精神が働き、伸朗の心をちらりと鬼火がかすめた。
「なっ・・・。」
次の瞬間には伸朗は、半ば衝動的に、
走る和葉の前方にその左手を突き出し、彼女の前進を阻んでいた。
何事かと、急停止した和葉の背は、伸朗の腕をよけた反動で、
真横に位置する森の大木へと縫い付けられた。
「な、何やの・・・?」
よもや、彼が犯人などと言う事は有り得まいと思いつつも、
伸朗と樹木とに挟まれる形になりながら、和葉は気丈に相手の顔を見上げる。
「そんな、急ぐ事もないだろ。」
蘭と竹富はとうに見えない場所まで走って行ってしまっている。
非難する和葉の瞳を受けながら、伸朗は目的同様にのんびりと、そんな台詞を吐いた。
竹富の言葉に、蘭と和葉は平次と犯人がいまだ対峙している、そんな緊迫した場面を思い浮かべていた様だが、
犯人はとうに罪を認め、お縄を頂戴している。
そうでなければ伸朗達とて、わざわざ現場を離れて少女達を呼びには来ない。
だから急ぐ事はないという彼の言葉も、あながち間違いではないのだが、
起した行動はどう考えても間違いそのものだった。
とはいえ、年下の少女に、しかもこんな状況で、不埒な真似を働こうとはさすがの彼も思ってはいなかったが、
平次に対する敵愾心から、和葉と二人、遅れて現れたらあの少年はどんな顔をするだろうという、
悪趣味な考えが彼の行動のいしずえとなっていた。
「ただの幼なじみ」などという言葉を、伸朗は和葉の様に、額面通りに受け取ってはいない。
「急ぐわ!! あのアホ、目ぇ離すと無茶ばかりするんやから!! そこどいて!!」
伸朗の行動が理解出来ないまでも、いきり立って和葉が叫ぶ。
流れが速いと言われている海に飛び込んだのは合わせて二回、
次に、犯人の懐に飛び込まないと、誰が断言出来るだろう。
「無茶って・・・高校生がそこまでしないだろ。」
無関心を装いつつも、和葉にアプローチをしかければ、何を置いても間に入って来る平次。
そんな平次の気持ちには気づかないまでも、平次に何事かあれば、いてもたってもいられない様子の和葉。
不器用な二人の互いへの感情を感じ取りつつも、
和葉の言葉には、伸朗は呆れた様にそう返した。
「・・・それ・・・どういう意味?」
いきり立っていた和葉が、態度を一転、静かな声で問い返す。
「どうって、高校生探偵って言ったって、ただの遊びみたいなもんだろ?
頭は切れるのかもしれないけど、そこまで熱くはならないっつーか・・・。」
先程、伸朗が竹富と共に現場にたどり着いた時、犯人はもう、その罪を認めた後だった。
恐らくは、自ら自白する段階に至っていたのだろうと、その件を思い出しつつ、
高校生探偵の手腕を知らぬ、浅い知識を持ってしての、単純な感想を述べる。
しかし伸朗は、皆まで言い終えぬ内に言葉を切った。
理解不能の気迫が、ふいに彼の体全体を包み込んだ為である。
何事かと、考えるより先に、それが眼前の少女より発せられたものだとやはり体で感じ取り、
驚愕のままに彼は目を見開いた。
一瞬、うつむいた和葉が、
静かに伸朗を威圧する気迫の元、さざなみの如くゆっくりと、その面を上げる。
「・・・遊びなんて台詞、もっぺん言うてみ?」
静かに響く、凛とした声。
しかしそこには間違いなく、穏やかならぬ怒りが込められており、
怒りをまとってなお、美しく輝く和葉の両の瞳に見据えられ、
伸朗の体は夏だと言うのに凍結した。
「二度とお魚さんゴッコなんてする気せん程、海の水味わわせたるから。」
「なっ・・・・・・。」
鋭く発せられた言葉は、言外にも本気だという事を充分に漂わせており、伸朗は言葉も出ない。
腕がたつとは聞いていた。
けれど、相手は所詮高校生の少女だ。
しかし伸朗は、その高校生の少女の発した気迫と言葉によって、
瞬時の内にすべての言動を封じられた。
微動だに出来ない体を、汗がじんわりと包み込んで行く。
夾雑物のない二人の間を、島風と、緊迫した空気だけが静かに流れた。