夏が咲く前に 9
「・・・とにかく、帰るで。何や腹減ったわ。」
いつも通りの反応を見せない和葉を持て余してか、
平次が再び苛立った様にそんな言葉を発する。
「そう言うたら平次、さっきから不機嫌やったけど、お腹空いとったん?」
目の前に現れた時から、ほとんど仏頂面を浮かべたままの幼なじみの態度に、
その台詞で合点がいった様に問いかけると、返答は盛大なため息をもって返された。
「・・・あんなぁ、」
「え?」
「・・・何でもないわ。」
苦虫を噛みつぶした様な表情に、きょとんと小首を傾げると、
その苦虫を飲み込んでしまった様な表情で話を打ち切られた。
これはいよいよお腹が空いているらしいと和葉は考え、
「そんなら何か食べる? あたしも何か食べようかな、
さっきデザートも美味しいって仁科君が・・・。」
先程は無下にしてしまった陸男の言葉を思い出しつつ、
テーブルの端に置かれた浅黄色の品書きに手をのばすと、
平次は今まで持っていた自分のグラスを和葉の目の前に音を立てて置き、
空いたその手で、品書きを取ろうとのばした和葉の二の腕をすくい上げる様につかんだ。
「なん・・・。」
「帰るで。」
低音が、店内に流れるジャズの音をかき消す様に大きく響く。
有無を言わせない平次の声。
そのまま、目的を果たせず驚く和葉の腕を上げて無理矢理立たせると、
平次はテーブル越しの自分の側へと乱暴に引き寄せた。
「ちょっ・・・。」
「こないな店、俺らには似合わんやろ。」
和葉が何事か言おうとするのを遮って、平次が言い募る。
大人びた雰囲気の内装に、耳慣れない音楽、
そして、テーブルの上には揃って飲み残された、
アイスコーヒーとアイスティとカフェアメリカーノ。
一つをのぞいて不慣れを感じさせる簡素な飲み物の選択が、
平次の言葉を裏付けている様に思える。
「あ、あたしは似合っとるもん。」
平次はどこか一辺倒というか、年寄りじみた無骨な部分があり、
アイスコーヒーの選択然り、
アイスならバニラ、中華まんなら肉まんと言った様に、特別な色を好まない。
しかし和葉のアイスティの選択には、それなりの意味があったのだ。
つかまれたままの腕に顔を赤くしつつ、和葉はしどろもどろでそんな反抗を返してみたが、
その言葉は「やかまし。」の一言で封じられた。
「・・・そんなら、どこが似合うん?」
そろりと平次を見上げて問いかける。
「ラーメン屋かお好み焼き屋。」
別に、胸躍るロマンティックな場所がその口から発せられると、期待していた訳ではなかったが、
あまりと言えばあんまりなその言葉に、和葉はあからさまにため息をついてみせた。
「・・・平次、それ自分の食べたいもんやろ。
だいたい晩御飯の前に何でそんな熱うて重いもん食べなあかんの。」
「そんなら神社前のたこ焼き屋。お前にはかき氷買うたる。」
さして変わらぬ方向に妥協を見せつつも、
この場から去る事に関しては一歩も譲らぬ姿勢で言い募り、
平次は鞄を持っている方の手でズボンのポケットに突っ込んでいた伝票を取り出し、
和葉の座っていたテーブルに視線を流すと、そこに伝票の無い事を確認し、
「何や、奢らせたんか?」
と、むすっとした表情で一言。
「ん? 自分の分は出したけど?」
しかし和葉は何でもない事の様にさらりとそう答え、続けて、
「かき氷か〜、買うて貰うなら白玉クリームあんみつがええな、あたし。」
と、既に神社前のたこ焼き屋の品揃えに思考を飛ばし、
にこにこと笑いながらそんな言葉を口にした。
「値段倍やんけ・・・。まぁええわ、行くで。」
ぶつぶつと口中で言葉を渦巻かせたものの、
殊の外早く折れて、平次は和葉の腕を相変わらず乱暴につかんだまま、
和葉に自分の荷物を取る様促すと、
階段の方へずかずかと足を進めた。
平次がようやく和葉の腕を開放したのは、会計を済ませる段になっての事だった。
何だかんだ言いつつも、腕同様に熱くなった頬を隠す様に、
和葉は会計を済ませる平次より一足先に店を出た。
風を期待したが、日が傾いてもいまだ下がる事の無い気温がじんわりと体を包む。
頬の温度を下げるなら、店内にとどまった方が正解だったと思いつつ後方を振り返り、
そういえば平次は依頼人と話をしていたと言っていたが、
相手の会計も持ったのだろうか、それとも折半にしたのだろうかと考える。
どのみち、相変わらず相手に金銭的負担をかける事はしないらしい。
その妙な潔癖さに細めた瞳に、店から出てきた平次が映る。
「行くで。」
笑みを浮かべる和葉を訝しげに見やり、
素っ気なく告げて、前を通り過ぎる。
無論、今度は腕を取らずに。
そらそうやなと、別段何の感情も抱かずに、和葉はその後に付き従い、
ふと思いつき、
「そや平次、あまの屋行く前にCD屋寄ってもええ?
買いたいCDあるんやけど。」
と、たこ焼き屋に行く前の寄り道を持ちかける。
「別にええけど何買うねん。」
「んー、昨日の深夜映画の主題歌。」
あの映画の事を平次にさらりと告げる事が出来、
なおかつCDを購入したいとすら思うのは、
明け方の気持ちを思えばかなりの心境の変化だったが、
陸男の話を聞いた今では、素直にそう口にする事が出来た。
「深夜映画ぁ? お前あんな時間まで何しとんねん。」
「平次も観たん?」
「アホか、何であないな時間にあんなしょうもないもん観なあかんねん。」
放映を把握しているらしい平次に問いかけると、そんな言葉で一蹴された。
それでも、どんな映画かは知っているらしい。
この男はたまに、知らない事は無いのではないかと思わされる。
「しょうもないって・・・。」
確かに、和葉も内容はありきたりだと思ったし、
陸男も映画自体には三流の烙印を押していた。
それでもいつもの癖で、諭す様な言葉を発すると、
平次は何故か少し考え、
「・・・しょうもないやろ。」
と、和葉が驚く程の真面目なトーンでそうつぶやいた。
思わず平次の顔を見上げると、その表情は冷めた色をたたえたまま、そらされてしまったけれど。
平次の言動の根源がよくわからなかったが、
「そんなに映画に厳しいキャラやったっけ。」
と、独り言の様につぶやいて、
「でもな、主題歌はええんよ。さっき聞いたんやけど・・・。」
そのまま、陸男に聞いた話を道すがら、かいつまんで話す。
和葉にしてみれば面白い話であったし、
おそらくは平次も知らないだろうから、きっと興味を持つはずだと考えての行為だったが、
一通りの話を聞いた平次は小さく鼻を鳴らし、
「随分雑談したんやな。」
と、話の内容とは何ら関係の無い感想を漏らした。
「うん、丁度店で曲が流れたからその話になって・・・。」
平次には恋愛相談だと告げたし、実際、それに近い話が本題ではあった訳だから、
確かに随分と別の話をしたものである。
雑談と言うには興味深い話ではあったが、
あの映画に対する自分の感情も含めて、奇妙なものだと和葉は苦笑した。
「アホくさ。そんなもん、わざわざ買わんかてええやろ。さっさとたこ焼き屋行くで。」
笑う和葉に対し、これ以上アホらしい事はないという様な表情でそんな言葉を発すると、
平次は強行にCD屋への道を断ち切った。
「なっ・・・ちょっとくらい付き合ってくれたかてええやん!!
別にそんな遠回りやないのに!!」
興味を持つと思ってした話をそんな風に切り捨てられ、和葉が憤慨を露わにする。
そもそもさっきは良いと言ったではないか。
「そないな事で大声出すなや。」
「出すわ!! だいたいそんなにお腹減ってるんやったら、
やっぱりさっき何か食べれば良かったやろ!!」
やはり早く何かを胃に詰め込みたいのだろうと平次の心境を察しつつも、
自分勝手な言い草をそのままにしておく程、二人の関係は甘くない。
「別に腹なんぞ・・・っ!!」
声を張り上げる和葉に張り合う様に、
平次も大声を上げかけたが、何故か思いとどまって、
止めた言葉の代わりに、鼻から盛大な息を発する。
そのまま少し気を落ち着かせるように、平次は自分の前髪をかき上げた。
「何やの・・・?」
「・・・事件。」
「はあ!?」
「この間の東尻の事件、まだ話してなかったやろ、あれ話したる。」
「・・・はあ。」
そういえば先週東尻で起きた殺人未遂事件を解決したとは聞いていたが、
まだ内容までは詳しく聞いていなかった。
それはそれで楽しみではあるのだが、
いかんせん、脈絡が無い。
「それから前に読みたい言うてた推理小説貸したる。」
「・・・どないしたん?」
更に脈絡の無い言葉を発する平次に、
一番適切と言える言葉を和葉は口にした。
「とにかく行くで。」
「・・・そればっか。」
「やかまし。」
何はともあれ、自分の予定を曲げるつもりはないらしい。
これ以上反抗しても仕方ないと、
和葉は平次の空腹を満たす作業を優先する事に心を決めた。
同時に、事件の話や推理小説が楽しみでもある。
「しゃあないなぁ・・・。」
そんな和葉の言葉を背中に聞きながら、平次が歩き出す。
しかし、二、三歩進んだ所でふと思い立ったように、
前を向いたままこんな言葉を口にした。
「けど、さっきの歌、」
「ん?」
「タイトルは、ええんとちゃうか。」
「・・・・・・そやね。」
一応は、きちんと話を聞いてくれていたらしい。
振り返らぬ平次にその表情は見せぬまま、
和葉は平次の背中へと微笑みかけた。
「どうぞこのまま」
・・・なぁ、仁科君、
やっぱりあたしとあの女優さん、似とらんと思うわ。
かの女優の演じた役柄と自分が似ていると評した陸男に対し、
和葉は心の中でひっそりと語りかける。
自分はあんなに誇り高くはない。
あの女性はきっと、ささいな事で落ち込んだりはしないはずだし、
今の自分の様に、
思いがけぬ場所で会えたり、腕を取られたり、「俺ら」とくくられたり、
何処かに誘われたり、話を聞いてくれたり、話を聞かせてくれたり、何かを貸してくれたり、
背中を見つめて歩く事が出来たり、
・・・・・・「早く来い。」と隣りを空けられたり、
そんな、そんなささいな事で、
今の自分の様に、馬鹿みたいに喜んだりもしないはずだ。
陸男は随分と過大評価の上でそんな事を言ってくれた訳だから、
似てないと言ってしまう事はどこか妙な名残惜しさもあったが、
そう思う事で、あの映画に対する切ない感情も切り捨てようと、
これから先、いくらでも似た様な感情は湧き起こるだろうと思いつつも、そう心に決めた。
並んで歩く二人の上空で、
夕暮れを控えても、いまだ青を失う事の無い空が、
高く立ち上った積乱雲の白を映えさせている。
朝とは正反対の空模様が、そう遠くは無い夏の訪れを静かに知らせていた。
梅雨明けは間近。
そして、
夏もまた、間近。
終わり
長ぇよ。
予想されるツッコミ第一位。
奇遇な事にあたしも思っておりました。長ぇ・・・。
いやぁ、これは一気に書かずにかなりだらだら書いていたんだけど、
久々に書く時、最初から読み直すだけでも時間がかかっちゃって進まねぇ進まねぇ。
絶対に10章越すと思ってたんだけど、ギリギリ9章でございました。
それにしても出だしの暗さは群を抜くのではと思います。
少し考えてしまう様な内容の映画に暗い気持ちになるものの、
そんな事で落ち込むのは似合わないと元気を出しかけた所に、平次に近づく女の子が・・・
うわー、漫画みたい!!(何だその感想。)
そんな心の隙間に近づく謎の男(喪黒か。)・・・って展開も漫画みたいではあるのですが、
むしゃくしゃしていたから付き合うではなく、
むしゃくしゃしていたから叩きのめしてやろうくらいの考えでついていく、それがハナホン遠山和葉。
やや直情的な観もありますが、何げに用心深かったりもします。
オリキャラ仁科陸男、ミステリアスなのは最初だけ、後はただの恋する男。
美園に、そして和葉に。
ラスト、美園に対しては言葉が少なくてこんな事になったにも関わらず、
和葉に対しては結構色々言いまくり。
まぁ、和葉に「言葉に出さないと。」って言われた事もありますが、
やはりそこは美園同様、身近な想い人よりは色々言える様な感覚で。
それでもやっぱりこれ以上一緒にいたらマズイって事で、
タイトル「夏が咲く前に」は、季節の事でもありますが、恋が開く前にとか、そんな事も含まれております。
「この女と長い間一緒にいて、惚れない男はどうかしている。」との和葉評、
じゃあ新一とかもか? って感じかもしれませんが、
紅子に惚れないのが快斗だけの設定のごとく、何つーか、地域限定。
秋山美園についてはあまり書きませんでしたが、
少しワガママだけど、結局は恋に臆病な感じ。直接陸男に色々と言う事が出来ないと。
彼女が陸男に色々告げようと決心して陸男を探し、
えれぇべっぴんと歩く陸男を見かけ、カフェの前で躊躇し、
そんな彼女の横を朝方会いに行った男が駆け抜けて行く・・・とか、
そんな番外編も考えましたが、また長くなりそうなので没。
でもその後、出てきた陸男と出くわし、何とか一件落着。
思えばあたしの描く脇役カップルははた迷惑な奴らが多い・・・。
そんな訳で駆け抜ける男・・・
ハナホンで女の子が切ない思いをする時は、男はその倍の苦労をしていると思って下さい。
自分で思うより有名人な遠山和葉、
陸男と二人で下校した後、改方学園では号外が出んばかりの騒ぎに!!(そこまでかよ。)
そしてその後はHKKOか何かが(平次と・和葉を・陰ながら・応援する会。ださ。)、
平次の前で色々と言いまくり(どこが陰ながらだ。)、
無関心を装いつつも、門を抜けた途端、ダッシュ!! 探偵ダッシュ!!
そんな訳で和葉にはわからない所で考えられない程の苦労をしている平次でございます。
依頼人? 何言ってんのさ、わかってるクセに。
そんな訳でホシが二階にいると突き止め、一階で張り込む刑事!!(の息子。)
ぜひとも妻の浮気現場に踏み込んで欲しかったものですが、
さすがにそこまでする権利云々を考え出し、陸男が降りて来るまで行動は起こせませんでした。
でもガンくれたりして。
しかしながら陸男に関する和葉の言い訳、平次は全面的に信じています。
そうであって欲しいし、何より和葉に関しては推理力が働かないので。
でも朝の態度や、どこか大人しい和葉の様子が、陸男の影響かと考えて、
相談乗る内に惚れたんとちゃうか・・・みてぇな。
その後、カフェとかCDとか、相手の好みらしい事を色々と口に出されたらそら不安にもなります。
思わず、何が何でもこの場から連れ出そうとしたり、事件の話や推理小説で気を引いたり。
子供かっつーの。
でもそんな平次と、それに気づかない和葉を可愛いと思って下されば幸せ。
ウチの平和は古風で和風で神風な感じなので(意味不明。)、
やはり似合うのはオサレなキャフェよりも駄菓子屋が進化した様なたこ焼き屋辺りかと。
たこ焼き・・・何となくベタベタかと今まで意図的に避けて来ましたが、とうとう使ってしまいました。
神社の境内辺りで仲良く色々飲み食いしたりして欲しいものです。
ちなみに金銭面で平次が潔癖だと評する和葉ですが、実は自分も平次以外には潔癖だったり。
そういや駅とか出しつつも、あたしの中で平和は徒歩で登下校していたりします。
自分内寝屋川シティには改方学園もあり、平和は徒歩で通ってるけど、友達と遊ぶ時とかは駅前という設定で。
まぁ、現代風である陸男と美園とのギャップを出そうと、
今回はステキな店とか出してみましたが、根本的には下駄箱にラヴレタァとか、古典的な世界ですハナホン創作。
さて、テーマとも言うべき三文映画とその主題歌、
無論、そんな映画も主題歌も存在しないので探さない様に。
デニス・レディングもまたしかり。
それにしても音楽オタクの仁科陸男、語りまくるので参った参った。
あたしの書く創作で一番長い台詞を言った奴じゃなかろうか。
でもお気づきかとは思いますが、実はコナンの登場人物を一人だけ、何げに登場させております。
そしてカフェの名前は、マスターがファンという裏設定で、有名な映画からそのまま。
映画に対する平次の感想、
これは、男女の配役を置き換えると・・・って事で、
見知らぬ男と会う和葉に、和葉と同様の不安を抱いてしまった訳です。
そんな訳で「しょうもない。」と。
でもタイトルは良しと評価を下したのは、紛れも無い、今現在の状況を指しております。
まぁ、進展がねぇ事も他ならないのですが・・・こんだけ長くて・・・あああ。
何はともあれ、長らくのお付き合い、ありがとうございました〜。