夏が咲く前に 6


        「『どうぞこのまま』か・・・あの人が駅で二人を見送るシーンを思ってつけたんかな。」
        「ああ、今はそっとしといてとか、そんな感じなんやろな。
        ・・・・・・何やあんた、あの女とイメージ重なるな。」
        影ながら、けれど毅然とした態度で恋人達を見送る女。
        この曲は主役二人の門出を祝う曲では無く、そんな彼女をたたえる曲だ。
        その様子を思い出し、ふいに陸男はそんな言葉を和葉に告げた。
        「な・・・重なるって・・・主人公のの恋の邪魔したりするし、」
        和葉は突然の意外な言葉に驚いて反論するも、
        そこで言葉を切って、思いを巡らせる。
        あの女優を自分に重ね合わせて悲しくなったのは、
        主役の男にただの幼なじみだと評された部分もあったが、
        そんな部分も手伝っているのかもしれない。
        他人からも、そんな風に見えてしまうのかと、和葉はいたたまれなくなり、
        「最後は・・・一人やん。」
        そう、自分で言って泣きたくなった。
        しかしそんな訳にもいかず、膝に置いた右手に力を込める。
        しかし陸男は、
        「好きやったら、邪魔くらいしたかてええやろ。」
        と、和葉の様子に気づかないふりをしてか、窓の外に視線を流してつぶやいた。
        それは暗に、今回和葉の前に現れるに至った、自分の事を言っているのかもしれなかったが。
        「それに、あんたのイメージと重なるんはそんな所や無い。
        あの、表冷内熱っちゅうか、静かに相手を想う、そんな所やな。」
        「全然、そんなんとちゃうよ、うるさいってよう言われるし・・・。」
        平次との関係については誤解だと告げ、
        好きな人間がいるとは一言も言っていないにも関わらず、
        恋愛に関する、映画女優に重ね合わせた自分のイメージを口にする陸男に対し、
        不思議に思うより先に、和葉は一人の人間を思い浮かべつつ、そんな言葉を口にしていた。
        「・・・誰よりも想っとるのに、素直に口に出来ん、そんな事無いか?」
        「・・・・・・。」
        沈黙を肯定とみなして、陸男は笑った。
        やはりイメージと重なる。
        「・・・俺やったら、看護婦よりあの女なんやけどな・・・。」
        瞳を落として、何事か考える様な和葉を見ながら、
        陸男は無意識にそんな事をつぶやいていた。
        「え?」
        和葉がよく意味がわからないと言った表情の顔を上げる。
        窓から差し込む光と、天井で回るファンの影を受けた、
        くっきりとして、真っ直ぐな、
        曖昧な部分など何も無い顔立ちが、自分をその瞳に映している。
        たとえばこれから、
        夏がやって来て、
        街で、ライブハウスで、自分の部屋で、
        この顔を見ながら、
        映画や、音楽や、恋の話をする。
        「・・・・・・。」
        ほんの数秒、甘い夢に陸男は浸り、
        次の瞬間、それを振り切る様に、彼はカバンと伝票を持って立ち上がった。
        ついでに和葉が置いたアイスティの代金を、少なからずの敬意を表して、
        きちんと手中におさめる。
        「仁科君?」
        突然の陸男の行動に、和葉は驚いて、初めて陸男の名前を口にした。
        「・・・いきなり呼ぶなや、決心がグラつくから。」
        眉をしかめて、唇を歪めつつ、席を離れる。和葉からも。
        「え?」
        「今日は迷惑かけたな、ほんまに。
        何や埋め合わせでもしたい所やけど、もう、会わん方がええな。」
        「何で?」
        座ったままの自分を見下ろして、
        一方的にそんな言葉を告げる陸男に、和葉が疑問を口にする。
        出会った経緯を考えれば、それもおかしな話だったが、
        今現在は友好的な関係であったはずなのだから、当然の疑問と言っても良いだろう。
        和葉の疑問と重なる様に、デニス・レディングの曲が静かに終わる。
        終曲と共に、先程から胸中に渦巻いていた奇妙な感覚を、
        陸男は和葉に打ち明けた。
        「これ以上、一緒におったら、あんたに惚れる。」


        「なっ・・・何・・・。」
        自白を受けた人間は、椅子から立ち上がり、
        口をぱくぱくさせながら顔を真っ赤にしている。
        もっと、こんな事態に慣れていても良さそうなのに、
        環境故か、まったく免疫が無さそうな和葉に、苦笑いを一つ。
        ほんまにマズイわ。
        「せやから、これから美園に会うて、
        今まで言わんで来た事色々言うたって、愛情再確認してくるわ。
        あいつもどうせ、ふられてるやろし。」
        階段に向かって、和葉から美園へと、心を切り替える。
        この階段を降りたら、二階の人間の事はすべて忘れる、美園の事だけ考える。
        「ふられてるって・・・そんなん、どうしてわかるん?」
        陸男の話の展開に、和葉はまったくついて行けなかったが、
        最後の言葉には、咄嗟にそんな言葉が口をついて出て来てしまった。
        美園の平次への行動は、憧れはあっても、
        半分以上は陸男に対する意地の様な物だと和葉は気づいていたが、
        平次が美園を受け入れないと、どうして言い切れるのだろう。
        陸男は階段を降りかけていたが、
        中間で立ち止まり、和葉を振り返った。
        そして、中間だからと、心の中で自分に対して言い訳を一つ、
        和葉に対して顎をしゃくってみせ、

        「あんたの方がええ女や。」

        はっきりとそう言い放ち、真っ赤になった表情を、これで最後と瞳に焼き付けた。