夏が咲く前に 2
ぼんやりとしたまま、放課後を迎える。
いつもなら長く感じる一日は、一つの物事にとらわれていたせいで、驚く程早かった。
朝方の出来事を、気にするまいとは思いつつも、
平次に接する機会は極力避けていた。
同時に、自分から行かなければ、
まったくと言って良い程接触が無くなる二人の関係が虚しくなる。
単なる幼なじみ。
そんな関係をせつなく思いつつも、甘えている感情も確かにあった。
けれどいつか、ただの幼なじみですらいられなくなる日が来る。
平次の前に、周りに、女の子が現れる度、
波の様に繰り返し迫り来るその感情は、和葉の心を脅かす。
側にいる事が出来れば、まだ強くいられるのに。
そんな事を考えながら、和葉は校門を抜けた。
「なぁ、遠山和葉って、自分?」
「・・・そうやけど・・・。」
校門を出た途端、頭上からそう問いかけられ、
和葉は自分が普段より頭を落として歩いていた事に気づき、慌てて顔を上げたが、
現在の気分と、突然の来訪者をいぶかしむ感が、ありありと表情に出てしまい、
相手はいささか驚いて目を見開いた様だったが、その相貌は、無遠慮に和葉を見下ろしている。
相手同様、和葉も相手を確認するが、
どう記憶を探ってみても、ここ数年は和葉の眼前に登場しなかった人物である。
男子高校生。
群青色のズボンから、黒色のズボンを着用する、改方の生徒で無いという事だけはわかったが、
校章をつけない白いシャツはどこの高校も似通っていて、
カバンも指定外の物と来ては、余程の制服マニアでも無い限り高校の判別はし難い。
痩身だが長身の体型に、
少し長めの明るい色の髪を無造作に踊らせたヘアースタイル、
冷淡さを思わせる切れ長の瞳が印象的な顔立ちは、
酷薄そうではあったが、それなりに整っており、
どこかのモデルと言っても充分に通用しそうで、
校門を通る他の生徒、特に女生徒が彼をちらちらと盗み見て行くのは、
他校生という理由からだけではなさそうだった。
「なぁ、ちょお、付き合ってくれへん?」
「・・・・・・。」
自己紹介も何も無く、友好的とも言えぬ態度でそう切り出され、和葉は考え込んだ。
普段なら、そんな風に意図のわからぬ相手には決してついて行かない所だが、
今日はどこか気分が晴れない。理由は明らか過ぎる程に明らかではあるが。
少し間を置いて、和葉は真っ直ぐに少年を見据えたまま解答を述べた。
「ええよ。」
途端、少年はいささか、馬鹿にした様な、あざける様な、
そんな表情を和葉に向けたが、すぐにきびすを返すと、駅前方面へと和葉を促した。
その後、校門から連れ立って歩く彼らを目撃した多くの生徒達によって、
放課後の改方学園では小さからぬ騒動が巻き起こる事になるのだが、
当の和葉はまったく知る由も無く、少年の後に従い歩いた。
「意外。」
駅前までの道のり、並んで歩く少年がふいにつぶやいて、
和葉は彼に対して眉根を寄せた表情を返した。
「こない簡単に、ついて来るとは思わんかった。」
「ああ。」
合点が行った様に和葉が頷く。
「丁度、むしゃくしゃしとったから。」
感情を隠しもせず、そう告げると、少年は和葉を見下ろして、
「へぇ。改方の女が、そんな理由で引っかかるなんてなぁ。」
と、あからさまな言い方をして鼻で笑った。
府内でも指折りの進学校である、私立改方学園、
その女生徒が、見ず知らずの男子生徒に、
気分が晴れないという理由だけでついて来る。
名門高校の女生徒が落ちたものだと、
その言葉と笑いにそんな意味合いを感じ取り、
先程少年が浮かべた表情の意味も理解出来たが、
せっかく釣った魚を逃す様なその言葉と態度に、
和葉は別段気を悪くする事も無く、唇にくっきりとしたカーブを浮かべて微笑した。
「引っかけるんが、目的とちゃうやろ?」
「・・・・・・何やて?」
前を向いたまま悠然と、そう言い放つ和葉の言葉に、
少年が途端に体を堅くし、歩みを止める。
ふいを突かれ、素になった表情で和葉を見ると、
和葉はその表情を見て、更に微笑を深めた。
「なんぼなんでも、そんなんについて行く程アホちゃうわ、なめんといてよ。
あんたがあたしに声かけたんは、そんな色恋絡みの話と違う。そうやろ?」
「・・・何でそう思うんや?」
「そういう事が目的で来る人間が、名前知っとるのに顔も知らんのはおかしいわ。」
「・・・・・・。」
確かに、恋愛感情を抱いての行為なら、
顔だけ知って、名前を知らないのならまだしも、その逆はおかしい。
両方知らないナンパを装った行為の方がマシだったと、
少年は内心で和葉に確認を取ってしまった自分の間抜けさに舌打ちしつつも、
「遠山和葉言うんは、ポニーテールのえらい目立つ美人やて聞いとったから、
一発でわかったんやけど失敗やったな。」
と、努めて明るく、和葉の言葉が的を射ていた事を肯定した。
「ふざけんといて。それで、何が目的?」
「・・・目的がはっきりせん人間について来るなんて、怖いもん知らずな女やなぁ。」
口から微笑は消えたものの、真横の少女は相変わらず冷静である。
追いつめる様に発せられるその言葉に、
笑みを浮かべつつも、不敵な調子で言い返してみせたのは、悔しさもあったかもしれない。
「・・・むしゃくしゃしとる言うたやろ?
何が怖いか、試してみてもええんやで?」
虚勢とはいえ、脅しとも取れるそんな言葉を受けて、
和葉は右足を軸にする様に力を込めると、静かに少年に向き直った。
その言葉と態度に、
むしゃくしゃしているから自分について来たと言っていた和葉の言葉の真意を知り、
次いで彼女から発せられる、
到底普通の女子高生とは思えぬ程の「気」の様な物を少なからず感じ取り、
少年はお手上げの言葉通り、片手を軽く上げてそれを制した。
彼自身は武道に関し、まったく造詣が無かったが、
それでも目の前の少女にまったく隙が無い事は感じ取れたし、
一歩踏み込めば、次の瞬間には自分の体が宙を舞う事は、
それだけの自信を発する、和葉の眼光と態度からも想像がついた。
「こないな場所で女とケンカする趣味は無いわ。勝てるとも思えんし。
・・・・・・さすがは西の名探偵が側に置く女やな。」
「・・・・・・。」
平次か。
その言葉に、少年の目的が幼なじみにある事を悟り、思考を巡らせる。
刑事の父と、探偵の幼なじみ。
近しい人間の職業が、必ずしも万人の支持や感謝を受けるばかりで無い事は、
和葉もとうに理解している。
遺恨や私怨、浮かび上がる嫌な字体が常に背中合わせだと言う事も。
こんな事態に、慣れていると言えば嘘になるが、想像はついた。
恐らくは少年の目的もその辺りにあるのだろうと察し、
普段なら、もう少し慎重さをおもんばかるものの、
今回は気分の悪さや、
相手が一見、普通の高校生である事も手伝って、彼の言葉に従った。
騒ぎにして他者の手を煩わせるまでも無いという自分の考えを知ったら、
父や幼なじみは怒るだろうか。