桜の中 4


        駅の裏手、人通りの少ない路地に出ると、
        平次は和葉を引いていた手をゆっくりと離し、
        壁際に止めてあった自転車に自分のスポーツバッグを積みこみ、鍵を開けた。
        「これ・・・。」
        今日、何人かの人間は自転車で来ていたが、和葉や平次は徒歩だったし、
        どう記憶を探っても平次の物ではない、
        少し古めかしい型の、新聞屋が配達に使う様な大きな自転車に、和葉は首を傾げた。
        「太川の。奪い取って来た。」
        「え・・・。」
        「荷台がついとんの、あいつのだけやったからな。」
        確かに、同級生達が乗る様な自転車で、後輪に荷台のついた物は稀だ。
        しかしそれがどういう意味か考えあぐねていると、
        平次はさっさと自転車にまたがり、
        「ほれ。」
        と、自転車を軽く傾けさせ、和葉に荷台に乗る様に顎で合図する。
        そういう事かとようやく察し、和葉は自分の頭の働きが鈍くなっている事を実感したが、
        平次が予想外な程に気づかわしいというのもある。
        事実、荷台に座った途端、下が金属であるにも関わらず、
        落ちて行く様に疲れが吸収される様な感覚に陥り、
        荷台のついた自転車を借りて来た、平次の選択に改めて驚かされた。
        そのまま、居住まいを正し、サドル部分を持ち上げる様な形で遠慮がちに手を添えると、
        和葉の準備が整うのを待って、後ろを振り返った平次がそれを目にし、
        苛立った様な表情でその手をサドルから離させ、
        先程手を引いた時以上の乱暴な動きで、和葉の手を自分の体へと回させた。
        その平次の行動にはずいぶん驚かされたが、
        疲れた体は特に何の言動を返す事もなく、大人しくそれに従った。

        和葉が安定したのを見取って、平次がゆっくりと自転車をこぎだす。
        普段の径路である表通りに戻るのかと思えば、
        どう帰ろうとしているのか、そのまま人気のない、線路沿いの道を進んで行く。
        「・・・同罪な。」
        自転車が動き出すのと同時に感じた、風の流れに乗って、
        ふいに前方からそんな声が聞こえて来た。
        今度はわかる。
        お互いの父親の職業を考えて、和葉は少し眉を下げたが、
        何だかそんな風に言う平次がおかしくて、
        皐と別れてから初めて、少しだけ微笑んだ。


        すっかり夜の影を落とした線路沿いの道を、満開の桜が咲き誇っている。山桜だ。
        月のない今夜は花曇りだったが、
        桜は天候に合わせての自分の魅せ方を熟知しいるとしか思えない、
        狂おしいまでの美しさを放っている。
        時折、春の強い風が、薄く色づいた花びらをさらって行く。
        桜の香りは淡い。
        ともすれば記憶に残らない程に。
        だから桜は、人の心に残るよう、その姿で人の心に残るよう、
        春の時を精一杯咲き誇るのだと、花びらを舞わせるのだと、
        いつか、教えてくれたのは祖父だったか、祖母だったか。


        おそらく自分は幸せなのだろう。

        目の前の桜は、信じられない程に美しくて、美しいと感じる心があって、
        この春からは、第一志望の、ずっと望んでいた高校に進学が決まっていて、
        理解のある家族、尊敬出来る知人、時間を忘れる仲間がいて、

        大好きな、幼なじみは優しくて、

        そして、
        別れたくないと、心から思う、大切な友達がいて。

        だからきっと、泣くのはわがままだ。
        こんなに幸せなのに、泣くのはわがままだ。

        でもどうしても涙が溢れて、
        帽子の影から、風に舞う桜を見ていたらどうしても涙が溢れて、
        皐も電車の中からこの桜を見たのだろうかと考えたら止まらなくて、
        和葉は平次の体に回した腕に少しだけ力を入れると、
        唇を噛んで、震える様な嗚咽を漏らした。

        一瞬、自転車をこぐ速度を速めた幼なじみが、
        力を抜いても良いと良いと言う様に、
        体に回された手を、片手で包みこみ、不器用な動きで、あやす様に叩いてくれる。

        桜の中を、幾粒もの涙が流れて消えて行く。
        これもまた成長の過程と、呼べる日がいつか来るのだろうか。


        遠山和葉、もうすぐ高校生。

        終わり


        こちらは「桜の予感」の姉妹編になります。
        ちゃはー、自分の創作で姉妹編って!!
        でも皐との別れのシーンと、それを静かに見守る平次というのは、
        絶対に書きたいなぁと前作から考えていたので。

        皐は活発だけど、内面は繊細な部分が多々あるという設定なので、
        自分の為のお別れ会に対して、遠慮や気恥ずかしさが芽生え、一人で旅立とうとする訳ですが、
        和葉は付き合いの長さから、一瞬で皐のそんな考えを見抜き、なりふり構わずに後を追う訳でこざいます。
        中学の近郊と言う事で、一応舞台は寝屋川なはずなのですが、相変わらずのオリジナル寝屋川。
        カラオケ屋→皐の家→駅っつーのは、実は結構な距離だったりするのですが、
        それでもしっかりと間に合う辺り、和葉が俊足であると共に、
        夜の電車の本数がすげぇ少ないという身勝手設定。ホームにも全然人いねぇし。更には線路沿いに桜。
        まぁ、舞台効果舞台効果(便利な言葉。)。

        前作に引き続き、平次との事をからかう皐ですが、
        それが実は状況をきちんと考えた上での揶揄で、和葉もその事に気づいている・・・
        というのが、姉妹編で種明かし出来て嬉しいポイントだったり。
        そして皐が服部平次の行動と気持ちを見抜く点についても、前作に引き続いての事ですが、
        平次の指示を受けたクラスメートも、それは気づいているでしょうな。
        太川君なんか、自転車だから自分が迎えに行こうかと、
        ちょっとふざけて言い出したら、自転車ごと奪われてるし!!(裏設定。)

        皐の言う、「こんな時期。」というのは、卒業式の翌日という事で、
        まぁ、告白シーズンというか。キャ。
        遠山さん、春休みは目を離して貰えなそうです(怖っ。)。
        本当は卒業式当日にしようかと思ってたんだけど、
        卒業式というと、それはそれで、告白者殺到ネタとか、第二ボタンネタとか、
        ときキャン作家としては色々考えなきゃなんねぇ事が出て来そうだし、
        和葉に自分の帽子をかぶせて泣き顔を隠す・・・という平次を書きたかったので、
        卒業式なら学生帽でも良いけど、そこまで学生帽をかぶって来た平次というのが想像出来なかったので、
        私服の翌日にしてみました。

        しかし平次が来た事について、和葉は探偵だからだと考えて、話を完結させてしまうのですが、
        そこにいると気づいたのは探偵としてでも、
        何故来たかと言えば、明らかに和葉の為なのですが・・・伝わらず。
        他にも、手つなぎとか密着とか、結構ドキドキ推進シーンがあるのですが、
        この時の和葉は、皐の事で頭が一杯なのと、結構疲労が来ているので、
        平次の優しさには気づくものの、それ以上の事には頭が回ってなかったり。

        平次は平次で、本当はもっと上手くなぐさめたいとか思ってるんだけど、
        和葉相手だと全然気のきいた言葉が出て来なくて、ふがいないと思うと同時に、
        手つなぎとか密着とか、自分でうながしておきながら、かなりドキドキしていたり。
        何だよ!! こんな時に柔らかいって!!(言ってねえ。)
        帰り道に桜の綺麗な道を選ぶのも、彼なりの気づかい。
        そんなキャラか? っつー気もしますが。

        今回、泣きまくりの和葉ですが、
        あたしの中で、和葉は人の為だと涙腺が緩い感じかな。
        まぁ、そんな自分を子供だなぁと考えてしまう訳ですが、
        子供と感じる優しさは、大人になってもなくさず、残っている事でございましょう・・・。
        まとまった?(聞くな。)
        タイトルは、ラストシーンと、
        中学卒業と高校入学の間という、桜の時期から。