門外不出の家宝なり 1
「とにかく!! あかん言うたらあかんよ!!
そんなんしたら、おばちゃん絶対許さんからね!!」
帰宅するなり客間から届いた、母親の大声に平次は耳を疑った。
母親が自分以外の人間に、あんな声を上げる事は珍しい。
しかも、玄関にきちんと揃えられたローファーから察するに、
その相手はもしや、自分の幼なじみではないだろうか。
何事かと客間に足を向けると、手をかけようとした平次の眼前で障子がすらりと開き、
中からは先程の声の勢いに反し、大切にしていた花器を割ってしまった時より酷い、
後悔と焦燥を織り交ぜた様な表情の静華が現れた。
「・・・ど、どないしてん。」
さすがに様子を見るべきと、平次は比較的静かな調子で問い掛けたが、
その顔を見るなり、静華はその表情を能面の様に凍りつかせると、音も立てずに後ろ手で障子を閉じ、
次の瞬間には、その手で帯に挟んでいた扇子をすらりと抜き取り、
神速と言うべき速さで、平次の学ランの襟元へと、容赦ない突きを打ち入れた。
「なっ・・・!!」
そのまま衿を取り、廊下の壁へと、
剣道の腕では全国でも五指に入ると言われている息子の体を、いとも簡単に縫いつける。
「なっ、何すんねんコラァ!!」
その昔、他校の生徒につけられた耳の後ろの傷をかすめるかの様な、母親の鮮やかな突きに、
顔面を蒼白にすべきか赤銅にすべきか判別もつかぬまま、平次は怒鳴り声を上げたが、
静華はそんな息子に冷ややかな目を向けつつ、襟元から扇子を抜き、
「あんたが・・・あんたがしっかりしとらんから・・・っ!!」
今までの夜叉の様な振る舞いはどこへやら、
心底口惜しそうな、泣きそうな表情でそうつぶやくと、
呆然とした表情の息子を残したまま、ぱたぱたと奥にある自分の部屋へと去って行ってしまった。
「何やねん・・・。」
さしもの西の名探偵にも、母親の言動がさっぱりと理解出来ない。
五秒ばかり廊下で放心してしまったが、
母親の後を追うよりは、いまだ客間にいるであろう、幼なじみに事情を聞いた方が早いと、
ついでにその様子も気になり、平次はそろりと障子を開いた。
まさか、和葉まで攻撃を仕掛けて来たりは・・・。
一瞬、そんな考えを巡らせた平次の思考に反し、
和葉は客間の座卓の前にきちんと正座したまま、
叱られた子犬の様に頭をうな垂れさせ、目に見えてわかる程、落ち込んでいた。
今にも泣き出しそうな表情には、若干、と言うか、かなり戸惑ったが、
軽く息をついて、その横に腰を下ろす。
「おい、オバハンどないしてん。」
味方だと言う様に、少し悪く母親を呼び、いたずらの共犯者の様な顔を浮かべて問い掛けてみたが、
和葉はちらりと平次の顔を見ただけで、悲しそうに瞳を伏せた。
「かーずは。」
少し甘やかす様な声を出し、軽く頬をつねってやると、
少し怒った様な表情をし、和葉は観念した様に口を開いた。
「・・・からへんの。」
「あん?」
蚊の鳴く様な声に、眉をひそめて問い返すと、
「わからへんの・・・何でおばちゃんが怒ったか・・・。」
何とも情けない表情でそう答え、和葉は平次の顔を見上げた。