近距離の遠い道 2
「せっ・・・!!」
自分の肩に手をかける、相手の腕の根元へと素早く手を伸ばし、
小さな掛け声と共に行動を起こしかけた瞬間、
「ドアホ。」
気抜けする様な、実際気抜けしてしまったのだが、淡々とした声が耳元へと流れ、
更に気勢を削ぐかの様に、ポニーテールの頭を軽くぺこんと叩かれる。
「へっ、平次!?」
聞き覚えのある声に、相手を捕らえていた手を離して見上げれば、
そこにあるのは他ならない、見慣れた幼なじみの姿で、
和葉は安堵よりも驚きが先行し、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
対する平次はと言えば、和葉の肩にかけていた手を自分の腰へと移動させ、
呆れた表情を隠しもせず、大仰に息を吐き出してその声に答えた。
「ど、どないしたん? こんな所で・・・。」
「・・・・・・どっかのアホが、人ん家来る言うて、なかなか来んからやろ。」
「あ・・・。」
場合によっては、心臓に悪いとしか言い様のない、
先程の平次の行動を怒る心積もりであったのだが、
平次がここにいる理由が、自分にある事を知らされて、和葉は目を見開いた。
「今・・・電話しようと思うてたんやけど、でも、まだ十分・・・。」
再び腕時計を見れば、二十時十分。
約束の時刻を過ぎてはいるが、まだそんなに大騒ぎする様な時間ではないはずだ。
しかし、そう言いかけて相手を見れば、
平次は不機嫌な面持ちを保ちつつ、密かに呼吸を整えている最中で、
先程、肩をつかまれた際の荒い息遣いを思い出しても、
ここまで、並々ならぬ速度でやって来た事を表しており、和葉は言葉を飲み込んだ。
しかし、
不謹慎とは思いつつも、ちらりと喜びが胸をかすめて、新たな言葉が浮き上がって来る。
「あの、心配・・・してくれたん?」
喜びが先走り、思わずそう、訊ねてしまったが、
舞い上がっていると、内部で牽制が働き、
その言葉は途中から、おずおずと遠慮がちに流れた。
「・・・・・・ドアホ。出会い頭に人の事投げ飛ばそうとする様な女、誰が心配するか。」
そんな和葉の控えめな疑問が耳に入るやいなや、平次は途端に苦虫を噛み潰した様な顔になり、
しばしの間を置いて、そんな返答を返した。
「・・・・・・。」
それはあんたがおかしな止め方するからやろ!!
そう、言い返したかったが、息切れにより、咄嗟にああするしかなかったのだろうと考え、
その点にのみ敬意を払い、和葉は返す言葉を飲み込んだが、
そないあっさりと否定せんでもええやん・・・。
と、頬は自然に膨らんできてしまう。
「俺はおかんがうるさいから来たっただけや。」
ふくれる和葉には構わずに、念を押す様にそう続けて、
平次は思い出した様にブルゾンのポケットから携帯電話を取り出した。
「お前、携帯は?」
口調からして、自宅へとかけるのだろう、
ボタンを操りながら思い出した様に、和葉へと問いかける。
「・・・家。」
「ボケ。・・・あ、俺や。」
恐らくは和葉の携帯にも電話をかけた上での疑問だったのだろうが、
素直な告白に対し、あまりにも簡素な悪態をつかれ、和葉の頬はますます膨らんだ。
さすがに何事か言い返そうかと思ったが、
ワンコールも置かずに電話を取った相手を察して押し黙る。
「おった。コンビニの手前。今から帰るわ。・・・あ? ガキやあるまいし・・・。」
しばしのやり取りの後、平次は眉をひそめつつ、そんな台詞を吐くと、
「ん。」と、和葉に自分の携帯を差し出した。
恐らく、静華が和葉の声を聞きたがっているのだろう。
「もしもし、おばちゃん?」
「和葉ちゃん? どこにおったん? おばちゃん心配したんよ。」
「駅から歩いとったんやけど・・・。ごめんな、心配かけてしもて・・・。」
電話に出た途端、矢継ぎ早にそういい募る静華の心配が言外にも想像出来て、
和葉は少し首をすくめつつ、殊勝に詫びた。
「えらい素直やんけ。」などと、脇で平次が毒づいている。
「二十時過ぎても来ぃへんから、和葉ちゃんの携帯にかけても繋がらんし・・・。
でもそう言うたら、平次がおっとり刀でな・・・。」
十分の現在、平次がここにいるという事は、
二十時を過ぎたすぐの時点で、服部家ではちょっとした騒動が持ち上がっていたのだろう。
そんな顛末を語りつつも、息子の名前を出す段になると、少しおかしそうに静華が笑った。
「え? 平次が何?」
よく聞き取れず、和葉は静華に聞き返したが、
自分の名前を聞くや否や、平次は物凄い速さで和葉から電話を奪い。
「ほなな!!」
と、自分の母親に対し、一言怒鳴ると、瞬時の内に電話を切ってしまった。
「あー、何するん!? まだ話の途中やったのに!!」
「じゃかぁしい、今月料金やばいんじゃ!!
話なんぞ家帰ってからなんぼでもせえ!!」
「せやからって、そんな突然・・・・・・あ、わかった。」
あまりの事に憤慨しつつも、突然の平次の行動の理由に思い当たり、
和葉は文句を止めると、訳知り顔で平次の顔をのぞき込んだ。
「・・・何やねん。」
自分の顔をのぞき込む和葉から、視線をそらしつつ、平次が聞き返す。
「おばちゃん、平次がゆっくりとか言うとったもん。
おばちゃんに言われて、嫌々来たん、隠そうとしたんやろ?」
平次をのぞき込んで、そう言ったかと思うと、
ぷいと顔をそらして、
「そんな事せんでもわかっとるのに・・・。」
と、拗ねた様につぶやいて歩き出す。
先程、不謹慎にも喜んでしまった罰は、充分に与えられたはずだ。
今また、追い討ちをかけなくとも良いではないかと、
先程までのやり取りの中では忘れていた寒さを改めて感じ、
尖った唇を隠す意味も込めて、和葉はマフラーを巻き直した。
「・・・全然、わかっとらんわ。」
「何? 何か言うた?」
後方からの声に振り返れば、しらっとした瞳を返されて、
「別に何も言っとらん。」
と、素っ気ない一言。
「・・・・・・。」
いい加減、悲しくなって来たが、
ため息をつくよりも早く、平次が傍らに並び、
「だいたいお前、何しとったんや。」
と、問いかける。
心配はしていない様だが、
話しかけたくない程ではないらしいと思ってしまうのは、卑屈な考えだろうか。
それでも、約十分の行動についてどう語ったものかと考えて、
「二十時少し前に寝屋川に着いたから、間に合うかと思うたんやけど、
何かお土産買うてから行こうと思て・・・。」
と、寝屋川に着いてからの行動を語り出すと、
「ドアホ。」
と、本日何度目になるかわからない悪態で話を遮られた。
「・・・平次? ええ加減怒るで。何がドアホなん?」
「ドアホやろ、俺ん家来るのに何でそんな面倒臭い事せなあかんねん。」
「・・・せやかて、おばちゃんが何か渡したい物あるって言うとったし、
いつも色々貰ってばかりやから・・・。」
「もっぺん言うたるわ、ドアホ。
あんなもんはあのオバハンの道楽やねんから好きにさしとけ。
そんなんにいちいち恩義感じて礼しとったら、いずれ犯罪に手ぇ染める様になんで。」
どう考えを飛躍させているのか、素っ頓狂な結論に、
何をアホなと突っ込もうと思ったが、
ちらりと横目に見た平次は、和葉が思うよりも怒っている様で、その言葉も立ち消えた。
何故だろうと考えるが、すぐには浮かばない答えにより、生じる沈黙が気になって、
「せやけど、別にそんな高いもんやないし、今日かて花とか・・・。」
と、弁解交じりに続けたが、平次に対し、この土地での花の話題は鬼門だったと、言ってから気づいた。
途端、
「花ぁ? あのオバハンに、お前がか!?
似合わんもん同士で何愉快なやり取りしようとしとんねん。やめとけやめとけ。」
と、必要以上の悪口雑言を返される。
普段なら怒り出す所だが、これはもう決定打だと、確信に次ぐ確信を得て、
「平次・・・あんた、築山さんで何かやらかしたん?」
と、くだんの生花店の名前を出して平次に詰め寄った。
「・・・何でそうなんねん。」
「せやかて、あそこのお店の話が出ると、途端に不機嫌になるやん、あんた。」
「別にそんな事ないわ。」
「また・・・あたしかてそれくらいの推理出来るんやから、誤魔化してもあかんで。
鉢植えでも割ってしもたん? せやったら一緒に謝りに行ったるから早う・・・。」
「せやから、そんなんやない言うとるやろボケッ!!」
平次の否定も意に介さず、「悪戯をした店の話が出る事を嫌う少年」の線で推理を進め、
最終的にはお姉さんの顔を見せつつ諭す和葉を、声を大にして怒鳴りつける。
そうして、「そない怒鳴らんでもええやん!!」と、怒る和葉を尻目に、
「ほんまに全然わかっとらんわ・・・。」
と小さく独りごちて、平次は深く、白い息を吐き出した。