紅の魔女
冬の訪れを思わせる、透明に凍てついた空気が、
空の星々をこれ以上無い程鮮明に映えさせている。
それらの群集にかしずかれる様にして荘厳な光りを放ちつつ、
下界を見下ろす王者の名は、居待月。
迫り来るのでは無いかという程の大きさで君臨する十八番目の月をちらりと仰ぎ、
平次はその姿に心を奪われる様にしてたたずむ幼なじみの名を静かに呼んだ。
「・・・寝てなかったん?」
夜に包まれて藤色に映る白い寝間着の浴衣に、
いつもの様に結い上げてはいない、まっすぐに下ろされた黒髪、
別の時代から来たかの様な雰囲気をまとった少女は、
名前を呼ばれ、月を見上げていた視線を降ろし、驚いた表情で平次を振り返った。
「人ん家の庭うろつく不審者が窓から見えたんでな。」
「不審者て・・・。」
この場合、それは泊まっている客間から抜け出し、
膨大とも言うべき服部家の裏庭を彷徨う和葉の事を指している。
「お月さんが綺麗やから、紅葉見よう思うただけやのに・・・。」
普段ならそんな台詞には大声で言い返す所だが、
夜の帳に牽制された様にひそやかににつぶやき、
和葉は周囲の木々をゆっくりと見渡した。
先程は月に魅入られたかの様なたたずまいを見せていた和葉だったが、
実際はその月に磨かれた木々の染まる様が目的だったらしい。
確かに、服部家の裏庭は、桜、欅、楢、もみじ、まんさく、どうだんと、
紅葉を見せる、様々な樹木が生い茂っており、
それぞれが美しく、深まる秋をその体で表現している。
「ガラにも無い事言いよって・・・。
時代が時代やったらこんな夜中にうろつく女はすぐさま魔女狩りやで。」
「それヨーロッパの話やん。」
何の気無しに口にした言葉に、律儀な切り返しを入れられて、
平次はしばし瞬いた。
確かに、我が家ながら洋風のつけいる隙も無い程、和風に丹精された日本庭園で、
月光の下に着物姿でたたずむ幼なじみを見て、
軽口とはいえ、何故そんな言葉が出てきたのだろう。
たいした事ではなかったが、そこはかとなく疑問に感じ、
自分を見上げる和葉を見下ろして、やはりそこはかとなく思い当たる。
薄い着物に寒さを感じてか、両手でその体を軽く抱きしめる様にして、
度重なる軽口に、少し怒った様に眉をひそめて唇を尖らせ、
闇の中でも衰える事の無い、美しい双眸で平次を見上げる、
媚態と言っても過言ではない仕草。
ただし、無意識の、というのが始末に負えない。
宴の席で酔った刑事達が、刑事部長の娘の容姿をして、
「あと数年したら大変な事になる。」などと話題にしていた事があったが、
冗談じゃない。
今現在大変やっちゅーねん。
月夜の晩には出歩くな。月がなくとも出歩くな。
そんな風に男を見上げるな。自分以外の男の目に映るな。
苦々しく、思うと同時に、
眼下の幼なじみに対し、様々な言葉が胸中で渦巻いたが、
至極勝手、勝手を通り越して無理難題としか思えない言葉の数々は、
地に足のつかない独占欲だと感じた精神のままに、音となって平次の口から流れいずる事はなかった。
そんな葛藤をたたえ、複雑な表情を浮かべる平次に対し、
和葉が突如として尖らせていた唇を、薄い微笑へと変化させる。
見透かす様なその笑みに、平次は水面下でたじろいだが、
一歩、自分の方に踏み出した和葉が、その手を自分の顔へ近づけて来るのには、
たじろぎが呼吸困難に陥り、そのまま水面上に出てしまうのではと思う程に驚かされた。
「なん・・・。」
自分でも意味を持たないと感じさせる言葉の横を、和葉の白い手がすり抜けて、
平次の頬に軽い接触を残し、髪へと触れる。
おそらくは一瞬の事、
しかし、和葉の動作の一つ一つがスライドショーの様に脳裏に焼きつき、
平次は間の抜けた観客の様に身動き一つ取れぬまま、その映像を見続けた。
最後の映像は、紅に染まったもみじのひとひらを手に、自分から離れる和葉。
それが自分の頭に止まっていたものだと気づくと同時に、
平次の時間がようやく動き出す。
「平次も紅葉?」
もみじの葉をくるくると、親指と人差し指で弄びながら和葉が笑う。
人の気も知らずに。
「・・・っ、アホな事言っとらんと、さっさと戻るで!!」
「ええっ、これから裏庭一周しようと思っとったのに・・・。」
動揺した感情を隠す為、思わず大声を張り上げる平次に、
それはいつもの事と、特別不思議には思わなかった和葉だが、
その意見にはがっかりと、再び唇を尖らせた。
冷静に考えれば二人同時に行動する事もないのだが、
それでも家人の意見には従うべきという考えが、その体には刷り込まれているらしい。
しかし、
「・・・一周やな。」
家屋に向かうかに見えた平次が、
和葉の意見を聞くやいなや、しばし考えた後、
そう言って家屋とは逆方向に体を向けるのを目にし、和葉は思い切りその目を見開いた。
「え・・・ええっ?」
「何やねん、行くで。」
そのまま、最初の目印と言わんばかりに明かりを灯す、
池の端の灯篭に向かって和葉を促す。
「あ・・・うん。」
裏庭一周の案に対し、
勝手にしろと言われるか、聞く耳を持たず連れ戻されるか、
二つに一つだと考えていた和葉は、平次のその行動に、
狐につままれた様な表情を浮かべつつも、大人しくつき従った。
そんな和葉の不思議そうな表情には気づかないふりをして、
平次は居待月を仰ぐ。
中世ヨーロッパにおいて、魔女の疑いをかけられ、
魔女狩りに遭い、魔女裁判の後に処刑された女性のほとんどは冤罪だったと言うが、
まさにその通りなのだろう。
本物の魔女は、そう易々と狩られたりはしない。
逆に、狩りに来た男を魅了する。
裏庭に魔女が住むという話はついぞ聞いた事がなかったが、
間違いない、この女は魔女だ。
魅了されたのがたった今なのかと言えば語弊があるが、
魔女と比喩したからには、その虜となった男達よろしく、
その意見には従ってやろうと思う。
月と紅葉の良く映える、今夜くらいは。
風邪をひかせない、程度には。
甘い支配に胸を静かに鳴らしながら、
平次は彼の魔女を伴い、月下の散策へと繰り出した。
終わり
泊まりは浴衣で!!(力説。)
この年になったらそうそう泊まったりはしないのかしら。
まぁ、和葉大好きな静華が何だかんだで泊まらせてると考えるも良し、
コナン達が来ていた晩と考えるも良し(適当な。)。
しかし導入部分をそうして誤魔化すと、結構短いお話が出来るんだなぁとしみじみ。
今回、何が書きたかったかと言えば、月下の和葉。
何かもう、彼女が美しければそれで良いという自分には戸惑いを隠せません。
そんな訳でスタァト地点ではかぐや姫とか、
そんなんをイメエジしていたのですが、結局の所魔女だったっつー事で。
ああ・・・解けない魔法・・・恋という名の・・・(大丈夫か。)。
そんな訳で魔女に魅了される平次ですが、
平次→和葉色を高めたいハナホン創作とはいえ、
どうにも男子高校生のドキドキな内情というのは難しいですね。
あまり書き込んでも気色悪いかなぁと押さえ気味に。
無論表面上はポーカーフェイスで。
本来ならときめいてメモリアルでトゥーハートで卒業なのですが(古い恋ゲー知識。)、
散歩に付き合うだけでも彼にしてはすげぇ譲歩。
いつもはかっこつけて、なかなか和葉の言う通りにはしてあげないので。
皆無と言っても良い寝屋川知識のままに、
服部家の裏庭はそのまま山に繋がっているというすげぇ自分内設定があったり。
地元の人々はその山を服部様のお山と呼び・・・(昔話か。)。
まぁ、裏庭一周は山に行く勢いでどうぞごゆるりと。
和葉寒そうですが。
でも上着かける訳でもなし、手を引く訳でもないハナホン平次・・・あああ。