角度の問題 4
式子の言葉に首を傾げる間もなく、早く行った方が良いと背中を押され、
和葉は病院を後にした。
また会いましょうと言った式子との時間は暖かな記憶となったが、
あの言葉はどういう意味だったのだろう。
しかし、今は病院の前で待つ、色の黒い学ランの男の子について考える事の方が先決の様だ。
「平次!!」
病院前の駐車場、式子の言葉と寸分違わず、不機嫌な顔をした平次が鉄柵に寄りかかっている。
きちんと家に帰って着替え、父の用事を済ませている和葉と違い、
放課後、そのまま大阪府警に直行した平次は、いまだ学生服のままである。
そして、その表情は和葉が駆け寄っても、変化する事はなかった。
「・・・どないしたん?」
ここにいる理由と不機嫌な表情の理由、二重に尋ねたつもりだったが、
「人の話最後まで聞かんと突っ走る、アホ娘の様子見に行ってくれって言われてなぁ。」
即答された答えは前者に対する事柄のみだった。
つまりは、途中で電話を切ってしまった和葉の様子を、父が平次に見に来させたという事らしい。
「あ・・・!!」
そこで和葉は父との通話を中断し、院内に入る為、電源ごと機能を停止させていた事を思い出し、
慌てて父に連絡を取ろうと携帯を取り出したが、
「会議中や。」
という、にべもない平次の言葉を受け、電源だけ入れた携帯を静かに元へと戻す。
まぁ、また後で連絡すれば良いだろう。
そもそも、特に心配性でも過保護でもない父が、平次に様子を見に来させたというのも意外だ。
「・・・・・・。」
それにしても、何となく、冷たい空気が流れている様な気がする。
前者のみと感じた答えではあるが、
もしかすると、府警での作業を中断されたので不機嫌なのかもしれない。
父がこちらに寄越すからには平次に対する用は済んでいるのかもしれないが、
事件の資料があふれる場所にはいくらでもいたいとという性格の持ち主なのだから。
「あ・・・その、ごめんな? ちょお、勘違いしてしもて・・・。」
自分の早とちりについては、院内で反省したばかりである。
その上、平次の予定まで狂わせてしまったとあっては、
いかに喧嘩ばかりの幼なじみが相手とはいえ、ただただ頭を下げる事しか出来なかった。
「・・・・・・別に。」
素直に謝る和葉に対し、平次はいささか面食らった様に目を見開き、
くぐもった声でそんなつぶやきを漏らした。
「そう? そんならええけど・・・。」
本当はちっとも良くなんかない。いつもの調子が戻らない。
これは心底機嫌が悪いのだと考え、和葉はすぐ近くに止めてある平次のバイクに視線を走らせると、
「あ、そんなら、府警に戻ってええよ?
あたしもちゃんと帰るし、後でお父ちゃんに連絡するから・・・。
ほんまにごめんな、ありがとぉ。」
と、早口で言って笑顔を見せた。
謝っても平次の機嫌が直らない以上、これが最善の策なのだろう。
和葉としては一緒に帰りたかったが、これ以上、迷惑だと思われるのは辛い。
しかし、
「ドアホ。」
半眼で和葉を睨みつけてそう言い放つと、平次は自分のバイクを取りに行き、
そのまま府警へ・・・向かおうとはせず、
「行くで。」
と、和葉を促し、バイクを押して歩き出した。
「え・・・ちょお!!」
雑言の意味を考える間もなく、平次に促され、和葉は声を上げたが、
平次はヘルメットをかぶる事も、バイクにまたがる事もなく、ただただバイクを押して歩くのみである。
仕方なく、和葉もその後に続いた。
「平次!! 府警、戻らんでええの?」
病院の脇道に入って行く平次の顔をのぞき込んで問い掛ける。
広大な敷地の横に続く道は、歩道に煉瓦を敷き詰めた並木道という美しいものであったが、
繁華街へと誘う様に続く大通りと間逆に位置するこの道りを使う者は少なく、
バイクを伴う平次と和葉が道一杯に並んで歩いても、咎める者はいなかった。
「・・・何で今から戻らなあかんねん。」
返答は、相変わらず不機嫌そのもの。
「・・・せやかて、何か用があったんやろ?
それあたしのせいで中断されたから、ずっと怒ってるんとちゃうん・・・。」
思わず核心に触れてしまったが、正直に言えば肯定が怖い。
問いかける声は次第に力をなくし、和葉は思わず俯いてしまった。
途端、黙り込んだ平次の片手がふいに伸ばされ、頬をつままれる。
「いひゃっ!!」
「アホか、猪突猛進女相手にいちいち不機嫌になっとったら、上機嫌がいくつあっても足りんわ。」
言葉を言い聞かせる様に頬をつまんだ指を振動させ、ぱっと離す。
「だ、誰が猪突猛進なんよ!!」
その行為に、二重の意味で顔を赤らめながら和葉が声を張り上げる。
自分にしてみれば、それは平次の為にある様な言葉だ。
「ほーお、今日のお前の行動をそう言わんのやったら、
そら俺ん家の辞書が間違っとるんやなぁ、明日買い換えに行かんとなぁ。」
「う・・・・・・。」
嫌味な口調でそう返され、和葉は反論の余地もなく黙り込んだ。
確かに、今日の自分の行動は猪突猛進のサンプルとしか良い様がない。
「だいたいお前は考えが足りんのや、あの丈夫な兄ちゃんがそうそう重体になる訳ないやろ。」
反論の余地のない和葉に対し、平次が言葉を言い募る。
会話がいつもの調子を取り戻したと和葉は感じたが、
心を暖かくするより先に、平次の言葉で父から電話を受けた時の事を思い出してしまった。
体中が動きを止めてしまった様な、恐ろしい感覚。
「・・・せやけど、その、心配で・・・。」
反省も手伝って、自然と表情がゆがむ。
すると、間髪を容れず、平次の鋭い声が飛んで来た。
「そういう顔すんな!!」
「へっ・・・。」
間の抜けた声と共に顔を上げると、何ともばつの悪い顔をした平次と目があった。
「あ・・・いや、政悟さん、結局大した事なかったんやろ?」
「あ、うん、明日には退院やって言うてた・・・。」
政悟の容態については既に父から色々と聞き及んでいるのか、
平次は特に質問を重ねる事はせず、
「そうか、そんならすぐに治るやろ。」
と、一人納得する様に頷いてみせたが、
どこか空々しく響くその言葉を右から左へと流しながら、和葉は先程の平次の言葉を考えた。
あんなに怒って「そういう顔をするな」とはどういう意味だろう。
顔・・・顔・・・。
少し考えて、和葉は政悟と式子の言葉を思い出した。
「和葉ちゃんにあんな顔させたんがばれたら、平次に怒られてまうわ。」
「でも一つだけ忠告、あんな顔して待ってくれてる子がいるのに、
他の男の人の所に、あんな顔して飛び込んで来ちゃいけないわ。」
「・・・・・・。」
「何やねん、黙り込んで。」
「うん、政悟さんの病室にいった時、あたしの顔見て平次に怒られるとか言うとったから、
平次が言うた事と何か関係あるんかなって・・・。」
思考途中で声をかけられ、思ったままを口にする。
式子については説明がいるので、この場では取りあえず政悟の意見だけを口にした。
「・・・・・・!!」
途端、平次が息を飲んで目を剥く。
「な・・・どうしたん?」
「べっ、別にどうもせぇへんわ!!
その、お前の顔、怪我しとる時に見るのはキツい思うたん、
幼なじみの俺にばれたら怒られると思ったんとちゃうか!?
心配せんでも俺も同意見やのになぁ!! はははっ!!」
「なっ・・・何やのそれ!! 平次はともかく、政悟さんがそんな事思う訳ないやろ!!」
何気なく言った事に対し、驚いた顔を浮かべたかと思えば、
この上ない暴言を吐かれ、和葉は目を吊り上げて言葉を返した。
平次と政悟は歳の違いはあるものの、
悪ガキという評価がぴったりの少年時代を送って来た事が共通してか、
よく顔を近づけては男同士の話、というものを繰り広げている。
それにしたって、あの状況で政悟そんな事を思うはずがない。
「なぁぁぁんであいつなら言わへんねん!!」
「せっ、せやかて、その時政悟さん、あたしの事、か、かわええって言うてくれたもん!!」
怒りのあまり、普段なら絶対にしない様な反論の仕方をしてしまった。
「アァァァホちゃうかぁ!? アホ!! そんなん本気で言うてる訳ないやろボケ!!
頭打って嘘しか言えん様になっただけや!!」
・・・何倍もの反論が返って来る事はわかっていたのに。
それにしたって、今日の返しはきつすぎる。
「・・・別に、お世辞やってわかっとるけど、嬉しかったんやからええやん。」
誰かさんの悪態と違って。
少しの言葉を飲み込んで、唇を尖らせる。
もう、丁々発止と言い返す気力はなくなってしまった。
「・・・ア、アホ、そんな言葉に踊らされよって。
だいたいなぁ、あいつをいくつや思うとんねん、若ぶっとるけど二十代後半やで?
そんな奴がお前みたいなガキ、本気で相手にする訳ないやろ!?」
意気を消沈させた和葉に対し、焦燥を見せたかと思えば、今度は諭す様な言葉を次々と投げかける。
そんな平次に対し、和葉は困惑した表情を上げて見せた。
「は・・・? あんた何言うとんの?」
「せ、せやから・・・。」
「・・・・・・。」
政悟が自分を子供扱いしてるのなんて百も承知だ。
それ故、甘やかした表現を自分に投げかけてくれるのだから。
おそらくは、スイミングスクールに来る子供達と、その扱いは変わらないだろう。
それは全然構わないのだが、平次が和葉と政悟の間の恋愛感情を平気で示唆するのには腹が立つ。
これは式子の心配とは百八十度問題が違い、本気で馬鹿にしようとしているだけなのだから。
・・・そして、誤解は解きたいと思ってしまう自分には、もっと腹が立った。
「政悟さんがあたしなんか相手にせんって、ようわかっとるよ。
だいたい政悟さん、好きな人おるし。」
「何や、そんな話までしとるんかっ!?」
「・・・・・・。」
何とか誤解を解こうと話し出した矢先、鋭い切り込みを入れられ、和葉は目を瞬かせた。
今日は、この幼なじみの言動が読めない事この上ない。
驚いた和葉の表情を受けて、何故か平次は顔をそらし、ごほごほと咳きこんでいる。
何か言うべきか少し考えて、和葉はそのまま話を続ける事を選んだ。
どの道、何を言って良いのかわからない。
「さっき病院に来てはったの。人の事やからあんま言うたらあかんけど、
その内平次も会えるんとちゃうかな。」
多分、きっと。
政悟と式子の事を思うと、自然と笑みがこぼれてしまう。
「・・・・・・病院におったんか。」
「うん。」
どこか気抜けした様に平次がつぶやき、
簡素な和葉の返答に、ますます気抜けした様に肩を落としたが、和葉には訳がわからない。
「はーん・・・あの政悟さんになぁ・・・。
よう失恋したとか言うとるけど・・・。」
半信半疑の様にそんな言葉を浮かべて、平次が顎をかく。
「・・・もしかしたら、ずっと同じ人かもしれんよ。」
式子の態度を思い出し、和葉は軽い苦笑いを返した。