角度の問題 3
「・・・・・・。」
物静かだが隙のない、下手な軽口を言えば政悟の様に切り捨てられてしまうかもしれない、
式子の様な大人の女性にはどういう話題を向ければ良いのかと、
下へ向かうエレベーターを待ちながら、和葉は心の中で眉根を寄せる。
平次なら何も気にせんとべらべら話しかけるんやろうけど・・・。
「色の黒い、学ランの男の子に心当たりは?」
「ええっ!?」
丁度、平次の事を考えていた時にそんな事を言われ、和葉は目を見開いて声を上げた。
かなり大まかな特徴ではあったが、真っ先に思いつく人物は、和葉に取ってはただ一人である。
「あ、あの・・・。」
式子の真意を計りかね、和葉は不可解な表情を返したが。
「私もさっき気がついたんだけど、病院の前にね、不機嫌な顔して立ってる子がいるのよね。」
「え・・・平次が・・・?」
何故不機嫌かはわからなかったが、
式子が告げる特徴から、思わず平次の名前が口をついて出た。
「平次君・・・その名前も原田君から聞いた事あるわ。
あなたの幼なじみの・・・・・・もしかすると、もうお付き合いしているの?」
「なっ・・・つっ、付き合ってなんかいません!!」
何故平次が表にいるのだろうかと、無防備に思考を走らせている最中に、
式子にストレートな質問を投げかけられ、和葉は思わず真っ赤になって焦った声を上げてしまった。
そんな和葉の表情をじっと見つめて、何故か式子が小さく微笑む。
何事か、言葉を募ろうと思った瞬間、エレベーターが到着し、
和葉は式子のしなやかな動きに促されるまま、無人のエレベーターに乗り込んだ。
「・・・じゃあ原田君とは何でもないんだ。」
「へっ? はっ!?」
エレベーターが緩やかに下降して行く中、小さく式子が呟く。
平次と付き合っていないとは言ったが、
何故政悟とも付き合っていないという話になるのか、
そもそも政悟相手にそんな話題になるとは。
式子の台詞のどこに異論を唱えるべきか、瞬時には判断出来ず、
和葉は困惑のまま、言葉にならない声を上げてしまった。
「な、何で・・・政悟さんとあたしが・・・・・・。」
ようやく、手っ取り早く形づけられる疑問を返すと、
式子は少し、困った様に顔を赤らめた。
「・・・だって、原田君がいつもあなたの事話すんだもの。すごく良い子だって。
でもね、高校生だって言うから、安心もしていたの。
だけど今日、あなたと会ったら、すごく可愛い子で・・・心配になっちゃった。」
「・・・・・・。」
エレベーターが一階に到着する。
初めて見る、式子の表情を、目上の人に対しては失礼なのかもしれないが、可愛いと評価しつつ、
それでも和葉は式子の言葉には驚いて、呆然としたまま一階へと降り立った。
政悟さんがあたしの事なんて想ってる訳ないのに・・・
それに可愛いやなんて・・・
あ、でも、このくらいの歳の人は、高校生は皆「可愛い」って思うんやろな・・・
あれ? でも、心配って・・・・・・
「え、式子さんって、政悟さんの事好きなんですか!?」
頭の中で思考を巡らせ、思い当たった結論を、和葉は思わず大声で発してしまった。
しかし、無人であった病室前やエレベーター内とは違い、
受付のある一階には、昼間程ではないにしろ、数人の人間が点在している。
その瞳を受け、二重の意味で慌てた式子に、並んだ鉢植えの影へと、物凄い速さで連れて行かれる。
「しーっ!!」
「あ・・・ごめんなさい。」
殊勝に詫びる和葉を見て、式子が軽く肩をすくめる。
そうして、人目を気にする様に周囲に軽く視線を走らせると、
「好きよ。」
と、和葉の耳元にそっと告げた。
静かな、さざ波の様な式子の言葉に、和葉の頬に一瞬で色が乗る。
同時に、大人の女性である式子が、自分の質問に真摯な答えを返してくれた事が嬉しかった。
「あ・・・けど、せやったらあたしの事なんか気にせんでも、
政悟さん、式子さんの事好きやってずっと・・・。」
式子に対する政悟の気持は言わずもがなだ。
何を気にする事があるのだと、和葉は率直な言葉を述べた。
「あんなの、冗談に決まってるじゃない・・・。」
しかし式子は戸惑った様に瞳を揺らし、顔を背けてそうつぶやく。
そんな式子の様子を見て、和葉は改めて思った。
可愛い。
政悟に対しての冷ややかな態度は、
彼の言葉を冗談に感じての反発から来るもので、
その後で和葉が見た、あの悲しそうな表情は、それを後悔しての事なのだろう。
冗談だなんて、そんな訳ないのに。
「冗談やなんて・・・政悟さん、ああいう性格やけど、嘘は言わん人ですよ。
あんな風に言うんは一種の照れ隠しなのかもしれんけど、
好きや言うたらほんまに好きなんやと思います。」
思うと同時に、そんな言葉を懸命に発していたが、
目を丸くした式子の表情が目に入ると共に、
何を偉そうに語っているのだと口を押さえる。差し出がましい事この上ない。
しかし、式子は気分を悪くした様子もなく、
「可愛い子は可愛いって言う人だし?」
と、少しいたずらっぽく笑ってみせた。
「え、それは・・・あの・・・。」
政悟が自分をそう言っていた事を思い出し、和葉は言葉につまった。
あれは完全なお世辞だと思うのだが、嘘は言わないと言ってしまったし、
言葉の迷路に閉じ込められた様な気分になる。
「困らないで? 和葉ちゃんに関しては本当にその通りだなって思う。
あなた、可愛いし、すごく良い子ね。原田君が誉めるのわかるわ。」
「そんな・・・。」
真剣な瞳になって、それでも優しい微笑を口元に浮かべて式子が言う。
初めて名前を呼ばれた事と相俟って、和葉は困惑気味に瞳を伏せた。
「いい歳をして、初対面のあなたに馬鹿みたいな事ばかり言ってしまったのに、
きちんと話を聞いてくれてありがとう。
和葉ちゃんが言ってくれた事、すごく嬉しかった。」
式子の言葉に、和葉は伏せていた瞳を上げると黙って微笑んだ。
子供相手と濁される事のなかった、率直な式子の言葉。
その言葉にきちんとした形で返せたのなら、それが嬉しかった。
そうして、おせっかいとも取れる自分の言葉を喜んでくれた事も。
式子が特別何をすると言った訳ではないが、
少しだけ違った様に思えるその意識の下、
次に会った時は政悟から素敵な報告があるだろうか。
見舞いにはグレープフルーツを持って行こうと、弾む心で考える。
「引き止めちゃってごめんなさいね。
気をつけてって言いたい所だけど、平次君がいるから大丈夫よね。」
「あ・・・。」
送り出そうとする式子の言葉に、和葉は表で平次が待っている事を思い出した。
慌てる和葉に、式子が再び、いたずらっぽ笑う。
「でも一つだけ忠告、あんな顔して待ってくれてる子がいるのに、
他の男の人の所に、あんな顔して飛び込んで来ちゃいけないわ。」