角度の問題 1
「あ、お父ちゃん? 言われとったスーツ、ちゃんと出しといたで。
え? うん、今出て来た所やけど・・・。」
夕刻、携帯電話に入った父からの連絡に、
クリーニングを頼まれていた数点の衣類の確認だろうと明るい声を返せば、
予想外な程深刻な口調で現在地を尋ねられ、和葉は眉をひそめた。
クリーニング店に行ったのならば、総合病院の近くに来ているかと言葉が続き、
目に入る距離にそびえ立つ、白い建物を見上げながら肯定を返すと、
すぐには信じられない言葉が耳へと運ばれた。
「政悟さんが・・・重体?」
その後、父と何を話したのかも定かではないままに電源ごと携帯を切り、
和葉は眼前の病院へと駆け出した。
原田政悟は父の友人の息子で、
家が近く、二代続いての酒飲みであるせいか、
父と晩酌をしに、親子で、時には一人で和葉の家を訪れる事も多い。
がっしりとした体格に、荒削りながらも男前と評価される顔立ちや、
何かと人を笑わせたがる、明るく豪快な性格は、
勤め先であるスイミングスクールの子供達にも人気が高いらしく、
十程歳が離れている和葉や、同じく父親同士が友人である平次とも、気さくに話す間柄だ。
その政悟が、重体。
すうっと血の気が引いて、貧血に似た感覚が体中を襲ったが、
必死で気力を呼び起こし、和葉は病院へと駆け込んだ。
受付で政悟の名前を告げ、返された病室の番号を確認するやいなや、
やり取りもそこそこにエレベーターへと乗り込み、
震える指でボタンを押し、目をつぶる。
機内にかすかに残るカンフルの匂いに過去の記憶が蘇り、全身が粟立って行く。
こんな事態には何度遭っても慣れない。遭いたくない。慣れたくない。
政悟と、最後に会ったのは二週間程前、
スーパーの前で偶然会って、
いいと言うのに荷物を持ってくれて、
お礼にと、買ったばかりのグレープフルーツを一つあげたらとても喜んで・・・
「おお、俺、これ大好きやねん。
これなぁ、半分に切って匙で食う奴が多いけど、
手で剥いて、ミカンみたいにして食った方が食いやすいねんで?」
・・・違う。
巡る思考に、和葉はプレーキをかけた。
違う違う違う。
最後なんかじゃない。
「やっ・・・・・・。」
嗚咽に近いつぶやきが、苦しくなった喉の奥からこぼれ落ちた。