別世界の受難 3
別世界だ。
完全に別世界の人間だ。
あれから、恐喝未遂の男達を近くの交番へと送り届け、
警察官に妙に緊張した面持ちで礼を言われ、
意気揚々と隣りを歩く少女を、冷や汗交じりに横目で見ながら考える。
買い物へ行くだけでも、完全に自分なんかの手に負える相手ではない。
そもそも今日は、伊吹と買い物をし、
上手く行けば映画を見て、
更に上手く行けばカフェなどで色々と話をし・・・、
そんな、楽しく平和な、最良の日を過ごすはずだったのだ。
目指していたのは小津映画であって、深作映画では決してない。
彼女と付き合う男はさぞや大変だろうと考えて、はたと思い出す。
自分の世界は演劇と伊吹中心に回っており、つい失念していたが、
遠山和葉と言えば、彼女の後ろに控えておわすのは・・・。
改方一の有名人と言っても過言ではない彼女の幼なじみは、
口ではただの幼なじみと言って憚らないこの少女を大層大切にしており、
彼女に懸想した少年の何人かは大阪湾に沈んでいるとか、
グリコの看板の裏に同じポーズで貼り付けられているとか、
彼の家の桜の木を美しく咲かせているとか、
冗談半分、恐怖半分の噂が後を絶たない。
良く考えなくとも、自分は今、とてもまずい状況にいるのではないだろうか。
「深山君、隠れて!!」
冷や汗をかきかけた矢先、和葉が耳元で低く囁き、
物凄い速さで奏は真横のビルの影に引っ張り込まれた。
来たんか!? あの幼なじみが来たんか!? 俺は何もしてへんぞ!!
思わず両手を挙げて叫びそうになったが、
「あそこの自動販売機の前にいる男・・・指名手配の殺人犯とちゃう?」
「しっ、指名手配!? 殺人犯っ!?」
耳慣れない単語に、真っ青になりながら裏返った声を返すと、
「さっきの交番でポスター見なかったん?」
と、何とも驚いた顔を返された。
すみません、当たり前のチェックしなくてすみません、住む世界が違うんです。
「動いた・・・追うで!!」
「追うっ!?」
この女は確実に殺人犯のアジトに乗り込む。
殺人犯と、その仲間である暴力団風の男達と一戦を交える和葉の様子が、
頭のなかにありありと浮かび、
奏は涙が出そうになった。
演劇部では端役もこなすが、基本的には脚本を手がけており、
将来は脚本家の道へ進みたいと思っている。
その為には、色々な経験を積む事が大切だと考えているのだが、
ここまでバイオレンスな経験は望んでいない。
しかし、奏の予想に反し、男が雑居ビルの一室に入るのを確認すると、
和葉は携帯を取り出した。
「どっかに連絡するんか?」
その方がありがたいはずなのに、予想外の事に思わず問い掛けると、
「前に一人で乗り込んで、大目玉食らってな・・・。」
気まずそうに和葉が白状する。
・・・乗り込んだ事、あるんや・・・ちゅーかこんな経験が初めてやないんや・・・。
しょんぼりと下がるポニーテールとは逆に、天を仰ぎたくなった。
とことん別世界の人間だ。
「あ、大滝さん? あたし・・・。」
110番ではなく、個人と話す様子に、
そう言えば彼女の幼なじみと共に、父親が警察関係者だったかと、
先程の交番での警察官の様子を思い返しながら考える。
過剰すぎる正義感も、育った環境ならではなのだろうか。
それに並々ならぬ武芸のセンスが備わると、
この様な、手のつけられない状況が出来上がるらしい。
数分の後、到着した覆面パトカーと思われる数台の車に、
奏はようやく安堵の息をつきかけたが、
出て来た刑事らしき男達が口にしたのは、殺人犯に対する質問ではなかった。
「かっ、和葉ちゃん!! そっ、その男の子は・・・!!」
「まさか、二人で出掛けてたんか・・・?」
「お嬢!! デッ、デッ、デッ、デート・・・なんか?」
強面の男達が和葉と奏を代わる代わる見ながら、
妙に脅えた表情でそんな疑問を投げかける。
「も〜、こんな時に何言うてんの!?」
両の手を握り締め、和葉が怒るが、
最後に到着した車の後部座席から、不機嫌そうな少年が現れた時、
刑事達の脅えは最高潮になり、奏の背中にも冷たいものが流れた。
服部平次の登場である。