色のない蝶 5
「明日、真っ向勝負してみろや。
お前が言う、試合前の一言でグラつく、
オヒメサマみたいな女やったら、何もせんでも楽な試合やろ。
けど、あいつ、あれでめちゃめちゃ負けず嫌いやから、
真剣に試合したら、それはそれでおもろい思うで。」
「・・・・・・。」
茶化した口調の中に感じられる、理解と誇らしさ。
自暴自棄に、テニスだけを大切に、もう友達はいらないと思っていたが、
自分の事を、こんな風に他の誰かに話してくれる友達がいたらどんなに良いだろうと、
素直に思った。
「あなたがそう言うんだったら、面白い試合になるでしょうね。」
皮肉ではなく、本気でそう思い、そう返答すると共に、葵は馬鹿な姦計を切り捨てた。
「ほな、俺はこれで。
・・・それからなぁ、余計なお世話かもしれんけど、
俺の知り合いの兄ちゃんが言うとったで、『十代は何にでもなれる』ってな。」
教室から出ようとする葵を追い越し、鞄を肩にかけてその表情を隠しながら、
服部平次がそんな言葉をつぶやく。
自分を気遣っての言葉だと、気づいて葵は目を丸くした。
父と母が別れたのは一年前。
父の不倫が原因だった。
母について、母の実家である大阪に行く事が決まったが、
母の実家は裕福で、生活に不自由はなく、
入学した改方学園も、東京の付属校とそうレベルは変わらず、
人から見れば、自分の境遇は不幸などという次元ではないのだろう。
きっと、お笑い種なだけだ。
自分がずっと、子供の頃から憧れていた職業が、
父の、不倫相手の職業だった事なんて。
すべてが駄目になったと感じてからは、テニスだけにのめり込んだ。
これだけは誰にも邪魔はさせないと。
けれど、あの女の職業だったからといって、あの学校でなくなったからといって、
子供の頃からの自分の夢を諦める必要がどこにあるというのだろう。
テニスだけだなどと、自分の世界を狭くしていたのは自分だ。
自分の性格の悪さは自覚している。
あの女を追い落とす勢いで、もう一度、夢を見てみるのも悪くはないかもしれない。
そう、服部平次の言う通り、自分はまだ、十代なのだから。
「何それ、意外とクサい事言うのね、服部君て。」
「せやから知り合いの兄ちゃんが言うてたんや。」
内情を隠し、笑ってみせると、瞬時にそんな言葉が返される。
「・・・でも、ちょっとだけ救われたわ。
今日の事、遠山さんに言っても良いわよ。
あなたが私くらいなりふり構わず頑張らなきゃいけないのは、
探偵や剣道より、遠山さんの事って気がするから。」
変な誤解をされていたら困るでしょうしと、
葵にしてみれば最大の感謝を示してそう言ったつもりだったが、
平次は振り返りもせず、どこか憮然とした背中で、西校舎から去って行ってしまった。