色のない蝶 3
「・・・はあ?」
これまで、表情を崩す事のなかった、高校生探偵の顔がぽかんと間の抜けたものになる。
少し意趣返しをした様な気分になり、葵は唇に小さな弧を描いた。
「遠山さんって、スポーツ万能なんでしょ? テニスも上手いって聞いてるわ。」
平次から見れば、幼なじみはどこか鈍くさく、危なっかしい存在であり、
苦手とするスポーツもあるのだが、
一般的に見てその運動神経は決して低くはなく、
合気道を基礎とした、武道のセンスに関しては言わずもがなである。
しかし、その事と、自分を誘惑する事とがどう繋がるのか、
さしもの平次も葵の言葉を待たない事には、まったく話がつかめなかった。
「私、テニス部なんだけど、この前レギュラーに選ばれたの。
でも一年だし、色々とうるさい先輩もいるのよ。」
実力を認められて、という点では平次も同じ立場であったが、
平次の場合、本人の性格故か、上級生や同級生に恵まれてか、苦労は少ない。
しかし、噂に聞く葵の性格では、何かと苦労は多い事だろう。
「そんな中、テニス部でもない遠山さんに負けたらどうなると思う?
お姉様方に何言われるかわかったもんじゃないし、
下手したら遠山さんを臨時部員にしてレギュラーになんて話も出かねないわ。」
そこまで陰湿な奴もおらんと思うけどな・・・。
そう、思いはしたが、話を進める為、平次はあえて口を挟まなかった。
「だから、遠山さんと付き合ってるあなたを誘惑しようと思ったの。
あんな可愛い彼女がいる人、本気で落とせるなんて思ってないけど、
ちょっとでもぐらりと来てくれたら、試合の前に遠山さんに、
『ちょっとからかっただけなのに、
服部君が本気にして迫って来るからびっくりしちゃった。』
って笑顔で言って、その時だけでも遠山さんが精神の均衡を欠いて、
試合に負けてくれれば良いんだもの。」
「なっ・・・おっ、お前!! 俺と和葉はただの・・・!!」
「幼なじみだって言うんでしょう?
でも別に、私はあなた達をからかいたい訳じゃないし、
いちいち持って回った言い方するのが面倒だっただけだから、
その点については照れも弁解もしなくて良いわ。」
高校生とは思えない程の冷静さを見せていた癖に、
幼なじみを彼女と言われただけでこの動揺は何なのだと、葵が冷めた言葉を返す。
「けどお前、そない卑怯な真似して勝っても・・・。」
葵の本性にぴしゃりと打たれた平次が、何とか体制を立て直し、
非難めいた言葉を返したが、
それに対しては冷静な葵の瞳に初めて小さな炎が宿った。
「そういうのは、何でも持ってる人の綺麗事じゃないの?」
「何やて?」
「あなたが努力してないなんて言わないけど、
今現在、仲の良い家族がいて、剣道も探偵も、好きな事が出来てるって状況よね?
もしも家族がばらばらになって、探偵なんてやっていられる状況じゃなくなって、
自分に剣道しか残らなかった時、
それを奪われかけたとしても、そんな綺麗事が言える?」
予定外の告白だったのだろう。
今までの冷ややかな態度を思えば、幾分声の質が違った。
葵は高校から大阪に来るまでは、幼稚舎から大学まで続く、
東京の由緒ある名門校に在籍していたと聞く。
改方もそうレベルの低い学校ではないが、その学校を出て、
東京から大阪に来るからには、何かしら、家庭の事情があったのかもしれないし、
平次に憤ってみせた言葉を思えば、
外交官なり弁護士なり、その学校を出ていればこその、優位な夢があったのかもしれない。
「・・・私に残ってるのはテニスだけなの。だから、その為だったら何でもするわ。」
少し自分に酔っているかの様な決意が葵の口から流れ出る。
黙り込んだ平次の視線に気づくと我に返り、
元の調子を取り戻す様に、少し笑いながら、
「それに私、遠山さんの事も嫌いだったしね。」
と、付け加えた。