瞳に安心 1
「でも・・・あの別荘は別荘で不気味よね・・・。」
突如として起こった殺人事件、
そして忽然と消えてしまった船長とクルーザーにより帰途を断たれ、
救助船が来るまではと、町長の別荘に身を置く事に決めた一行だったが、
何か使える物はあるかと、先行する大人達に続こうとした蘭は、
長い間放置され、その上、一年前には玄関先で死体が発見されたという、
もはや廃墟と言っても過言ではない建物を前に、そんな事をつぶやいて足を止めた。
「大丈夫だよ蘭姉ちゃん、皆いるんだし。」
「うん・・・そうだよね。」
どこか気遣わしげに自分を見上げ、
それでもいつも以上に明るい声でそう言うコナンに、
蘭は少し眉を下げつつも、その瞳をまっすぐに見つめて微笑んだ。
そのまま、どちらともなく相手の手を取り歩き出す姿は、
向かう先が廃墟であるにも関わらず、どこか一枚の絵の様な、そんな美しさを思わせた。
そんな二人の姿を後方でながめながら、和葉は蘭の精神力を痛感する。
自分も、同じように怖がりだからわかるのだが、
蘭は恐らく今、この島で誰よりも脅えているはずだ。
それでも、自分よりもずっと年下の少年に心配をかけまいと、
ああして気丈に努める姿には、尊敬と、少しの切なさが胸に沸き上がった。
「・・・・・・工藤君がおったらなぁ・・・。」
「何やとコラ。」
「わ。」
ぽつりとつぶやいた、風にさらわれかねない様な小さな一言に、
後方から低い声で即座に反応を返され、
両肩を上方に弾ませると、和葉は驚いて振り返った。
「へ、平次・・・。」
水平線をながめつつ、長考を決め込んでいる様子の幼なじみに付き合う形を取って、
蘭達を先に行かせた和葉だったが、
いつの間にか真後ろに立っていたその存在は、
何故か不機嫌丸出しの眼差しで自分を見下ろしている。
それも、かなりのとか、恐ろしいまでのとか、そんな修飾をもってしてもまかなえぬ程の、
冷とも熱ともつかぬ気をたたえて。
「ど、どないしたん、何やわからん事でもあったん?」
「ほーお、俺やとわからん事ばかりで頼りない言うんか。」
「はあ? な、何言うとんの。」
不機嫌そうな表情を汲み取ってかけた言葉に、
すぐさま卑屈とも言うべきそんな言葉で返され、和葉が目を見開く。
「別に。はよ頼りんなる工藤が来るとええなぁ。」
「え、工藤君沖縄に来てるん!?」
「来てへんわ!! 来るかボケェッ!!」
ふてくされた平次の台詞をそのまま受け取り、
思わず表情を輝かせて身を乗り出す和葉を、平次はこれ以上無いと言う勢いで怒鳴りつけた。
「な・・・何なんよあんた、さっきから!!」
理由がわかれば謝罪、ではなく、口ゲンカにも繋がるが、
今回ばかりは不可解過ぎる平次の物言いに、和葉は困惑しつつ疑問を返した。
そんな和葉を横目で睨みつつ、
「・・・・・・姉ちゃんやからな。」
ぼそりと平次がつぶやく。
「はあ?」
不可解な言動を怒っているのに、更に不可解な言葉で返され、和葉の眉間のシワが増える。
「・・・せやから、仮に工藤が来たとしても、あいつが助けるんは姉ちゃんや。お前やない。」
「うん。」
しばし躊躇した挙げ句、平次が発したのは、かなりの意地の悪さを含んだそんな言葉だった。
もっとも、それを発するに至るには、様々な感情が交錯している訳なのだが、
そんな平次の、複雑な言葉を受け、
和葉が返したのは恐ろしい程簡単な二文字の言葉で、
平次は驚いて、引き結んだ口と反比例する様に目を見開いた。
「・・・・・・なんやて?」
ようやく質問を返したのはたっぷり七秒後。
「せやから、うんって。
蘭ちゃん・・・恐がりやのに無理して我慢してまう様な所あるし、
おっちゃんもおれへんやろ?
工藤君おったら心強いのになって。平次かてそう思うんやろ?」
「・・・・・・。」
あっけらかんとした和葉の返答に、平次は思い切り脱力する。
工藤がいればという和葉の言葉に、
工藤新一ならば、今現在この島を取り巻いている、
不可解な殺人事件の謎をすぐに解き明かしてくれるはずだと和葉が考えていると思い込み、
これ以上は無いという程の不機嫌さを味わわされた訳なのだが、
箱を開いてみれば、和葉は蘭の元気の為だけに工藤新一を必要としていただけで、
当然の事ながら、工藤が助けるのは和葉では無く蘭だと言う、
平次のあてこすりにも気づく事無く、平次も同じ考えかと言い笑っている。
「まぁ、小さな騎士さんもおる事やし、大丈夫やとは思うけど。」
そう言葉を次いだ和葉は、小さなと表現してはみても、
決して江戸川コナンを過小評価してはいない。
彼は彼で、とても小学生とは思えぬ英知と行動力を持って蘭を守っている事を和葉は知っている。
コナンの為に強くあろうとする蘭の傍らで、
コナンもまた、蘭の為に強くあろうと考えているのだ。
「そう考えると工藤君もうかうかしとれんね。」
「・・・・・・アホらし。」
小さなライバルを示唆しての、和葉のそんな台詞に、平次はそんな一言をもって返した。
しかしながらそれは、小学生がライバルになり得ないと考えての意見や、
それ以前の、工藤新一と江戸川コナンの関係を考えての言葉では無く、
遅れて漏れた、自分自身に対する評価である。
和葉が幼なじみの自分以上に、探偵として工藤新一を信頼していると思っただけで、
ああも精神の均衡を崩してしまうのかと、我ながら頭が痛い。
しかしながら、あの言葉がもし、探偵絡みで無く、恋愛絡みだったと考えると・・・
考えたくも無い。
恐ろしい考えに行き着いてしまって、
平次は額にじっとりと汗が浮かぶ心地悪さと戦いつつ、その考えをうち払った。
探偵絡みとだけ考えた、過去の自分を讃えたい気分ですらある。
よしんばそんな考えが浮かんでいたら、自分の精神状態はあんなものでは済まなかっただろう。
恐らくは、正気ではいられない。