東への理由 2


        「何や、またケンカか。
        まったく、ウチのじゃじゃ馬乗りこなせる奴はなかなかおらんなぁ。」
        和葉と入れ替わりに、和葉の父が上座からやって来て、
        娘と平次のやり取りを揶揄すると、先程まで和葉が座っていた、平次の隣りに腰を下ろした。
        上司の登場に、若い刑事二人はいささか空気を硬くして、居ずまいを正したが、
        普段は切れ者と名高い彼も、酒には目が無く、飲んだ時はかなり陽気になる。
        部下に足を崩す様に促し、和葉の父は彼らの杯に酒をついだ。
        「いや、今、平ちゃんの人気の話しとったんですわ。」
        和葉の父の言葉に、どう反応して良いのかわからない平次は、
        依然として目の前の料理を口に入れる事に専念している。
        平次の口から言葉が出ない事から、布川が気を使って話題を切り出した。
        「今日も記者達がすごかったんでっせ、
        東の名探偵と双璧で特集組みたい言うてなぁ。」
        布川の言葉を次いだ、内海の出した単語に、平次の肩がぴくりと動いた。

        東の名探偵、工藤新一、
        平成のホームズ、日本警察の救世主、
        そんな肩書きで名を馳せる人物は、平次と同じ、高校生探偵である。
        探偵として、世間の時事に隈無く目を通していれば、その活躍は嫌でも目に入ったし、
        同じ高校生、同じ探偵として、事件の関係者達に比較される事も少なくない。
        正直、面白くない気分を抱いた事もあるが、
        彼の取り扱った事件で、自分に解けないと感じるものは無く、
        劣等感を抱いたり、目の上のこぶなどと思う事は無かった。
        知名度はどうあれ、自分の実力が下だとは、思っていないのだから。
        まぁ一度、手合わせしてみたい奴ではあるけどな。
        そう思いはしたものの、最近の工藤新一についての事柄を思い出し、
        それも無理かと考える。
        何故ならば、
        「特集か・・・おもろいけど、そら無理やろ。」
        「何でです?」
        「工藤新一っちゅうんは行方不明って噂やで。
        最近新聞でも見かけんやろ。」
        杯を傾けながら、和葉の父が東西名探偵の特集が不可能である理由を明かす。
        さすがは警察上層部の人間、そういう方面の事には耳が早いらしい。
        「そう言うたら・・・。けど行方不明って、ヤバいんとちゃいますか?」
        「いや、何や事件を追ってるっちゅう事で、家族からも何の届けも出とらんから、
        向こうの警察も特に問題にはしとらんらしいで。
        それに、関東じゃ今、『眠りの小五郎』が有名やろ。」
        工藤新一の失踪と時を同じくして、世間に台頭して来た名探偵、
        毛利小五郎の名前を和葉の父が出す。
        「ああ、あの眠ってる様な格好で推理するっちゅう、けったいな・・・。」
        「ははは、まぁ形はどうあれ、やっこさんの登場で、
        工藤新一の失踪の噂も、闇から闇、っちゅうこっちゃ。」
        「はぁ・・・。しかし眠りの小五郎の推理っちゅうんも見てみたいもんですなぁ。」
        眠った様な姿で百発百中の推理、というのは、ある種のエンタテイメント性がある。
        その様子を見てみたいと、内海がミーハー少女の様に目を輝かせた。
        こんな輩が多いのだ、一人の高校生の失踪が闇に葬り去られるはずである。
        「そうか? 俺はやっぱ工藤新一やなぁ。
        平ちゃんと推理対決、なんちゅう事になったら見物やわ。」
        俺はパンダとちゃうわ。
        布川の言葉に、出かかった台詞を飲み込んで、平次はボリボリとカブの浅漬けをかみ砕いた。
        「おやっさんはどっちです?」
        工藤新一と毛利小五郎、二人の探偵の推理現場を見たがるというのは、
        警察組織に携わる人間としては、いささか考えものかとは思うのだが、
        三人共、かなり酒が回っており、そんな事は考えもしない。
        布川の返答に、内海が和葉の父に意見を促した。
        「せやなぁ、俺も工藤新一に一票入れさしてもらうわ。
        若うて切れる奴っちゅうんは、見ていて小気味ええしな。」
        「・・・・・・。」
        それは毛利小五郎と比べての意見で、
        別に自分と比較しての意見では無いのだが、
        布川や内海ならいざ知らず、和葉の父親が工藤新一を選ぶのは、
        何故だか気分が悪かった。
        和葉の父の言葉が、自分の事も示唆している事など、
        まったく気づかずに、平次は眉間にシワを寄せる。
        おもろない。
        そう考え、この不愉快な状況から抜け出すべく、用足しにでも行こうかと考えた時である。
        まだ意見を終えていなかったらしい和葉の父が、とんでもない事を言い出した。
        「それに、そないに切れるボウズやったら、
        ウチのじゃじゃ馬も乗りこなせるかもしれんしなぁ、いっちょお願いしたいもんやで。」


        ・・・・・・なんやて?
        傍らで盛り上がる三人と、空間を別にして、服部平次は固まった。
        耳に入った和葉の父の言葉だけが、頭の中をぐるぐると回る。
        その言葉は、何故か紋付き袴を着込んで正装した和葉の父が、
        工藤新一に向かって「娘をよろしく。」などと、さわやかな笑顔を浮かべている映像や、
        新聞の写真等で見る、気障な微笑をたたえた工藤新一が、
        「お父さんが許してくれて嬉しいですよ。ははは。」などと、和葉の両肩を抱いている映像等、
        恐ろしい光景を平次の脳裏に展開させ、
        果ては、あの、自分の推理を聞いた時に見せる、極上とも言うべき笑顔を、
        工藤新一の前で浮かべている和葉の映像が浮かんだ時には、
        思わず声を上げそうになった。
        その傍らで、布川と内海が、
        「まったく、おやっさんは酔うといつもそれなんやから。」
        「平ちゃんなんか何度サカナにされたかわからんよなぁ。
        でもこういう事言う人程、いざとなったら娘を手放したがらんて言うよな。」
        と、酔った時に自分の娘の将来をまとめたがる、
        上司の悪癖をいさめる声は、まったく届いていない。

        「・・・冗談やないで。」
        今まで無言で食事に集中していたと思われる平次が、
        そんな事をつぶやいて立ち上がった時には、
        三人の刑事達はとうに話題を変えていたので、そのつぶやきの意味に気づいた者はいなかった。
        「どないしたんや平ちゃん。」
        「それより内海、次はこれ飲もうや、忘れとったけど鑑識の増岡から貰た酒でな、
        クセあるけど、結構美味いらしいで。」
        不思議がる内海の傍らで、思い出した様に布川がカバンから酒瓶を取り出す。
        「おっ、中国酒か。」
        その装丁を見て、珍しい品に舌なめずりをする和葉の父が受け取るより先に、
        平次はその酒を布川から奪い取った。
        「何や平ちゃん。」
        「・・・飲みすぎや。明日も早いんやろ。」
        不思議そうな布川に、
        瓶を持ったまま、表情と同様の冷たい言葉で平次が返事を返す。
        それを聞いて、和葉の父などは、「それもそうやな。」などとおおらかに笑ってみせたが、
        言ってしまえばそれはただの意趣返しである。
        酒を没収され、仕方なく料理に手をのばし始める三人を後目に、
        平次は広間を後にした。