月下の微笑
月明かりだけを頼りに東を目指す。
助けなければならない奴がいるから。
メロスみたいやん。
そんな事を独りごちて、服部平次は通用門から表へと出た。
冬の外気は頬に痛くて、瞬時に耳朶が冷えていく。
冷気のせいか、下弦の月が冗談みたいに美しい。
せいぜい道を照らしてくれと、迷いのない一歩を踏み出す。
彼のセリヌンティウスはと言えば、
助けなど必要無いと、電話口で軽く笑っていたが、
状況がなかなかに緊迫している事は、遠く離れた平次の耳にも届いている。
呼ばれもしないのに行くのは得意なので、相手の返答などは意に介さず荷物をまとめた。
そんな息子を見て、父も母も何も言わず、ただ薄く笑った。
どこか誇らしげに。
あいつは。
ふいに思考の端を紅の布地がよぎる。
常に考えてはいたのだが。
止めるのか、ついて行くと言い出すのか、
どちらにせよ、賛同出来ない意見ばかりを発しそうな人間には会わないに限る。
肌に感じる風のごとく、冷たい決意を心に決めた。
一刻も早く旅立つのは、友の為でもあったが、
その為でもあるかもしれない。
それ故の、月明かりの道。
怒るやろなぁ。
学校に行かなかった自分の様子を見に家に来て、
母親から事情を聞いて。
真面目に怒った後はいつも、
泣きそうな顔になる幼なじみの相貌が胸にささる。
あの時と、あの時と、
そんな顔をさせたのは幾度だろう、
考えるとそんな顔しか思い出せなくなりそうで、途中で数えるのをやめ、
笑えと、心に浮かぶ顔に命令する。
何でも良いから笑え。笑っていろ。
それが無理でも、せめて泣くな。
彼女に目の前で泣かれるのは、彼の最も苦手とする所だったが、
自分の知らない所で泣いているのは、想像するだけでも辛かった。
怒ってもいいから、泣くな。
上手くいかんわ、後ろめたいんかな。
つきかけるため息を止め、歩調を速めた。
気が付けば心にある人間の家の前に差し掛かっている。
遠回りするには、彼女の家は近すぎた。
時間が時間なので、見つかる心配は無いだろうが、
未練がましく立ち止まったり、部屋の窓を見上げるような真似は絶対にしたくない。
意地の様に前だけを見て、よく知った家の前を通り過ぎた。
「薄情もん。」
しん、と静まり返った夜に、声が小さく響いて、
平次は小さく目を見開いて足を止めた。
通り過ぎた家の門扉の影から、人影が現れる。
知っているのだろうか、待っていたのだろうか、
コートを着て、唇が赤くて、息が白くて、いつもの凛とした雰囲気が失せていて。
突然現れ、唇を引き結んだまま、真っ直ぐに自分を見る幼なじみの視線に戸惑い、
様々な考えが頭を巡ったが、平次の口から出て来たのは、
「何がやねん。」
という、ありきたりな言葉だけだった。
「・・・東京、行くんやろ?」
「ああ。聞いたんか。」
静かな足取りで和葉が近づいて来たので、
平次は仕方なく和葉に向き直り、道の上にどさりと荷物を置いた。
その荷物を見ながら、和葉が悲しそうに薄く微笑む。
何故和葉が知っているのか、その事を気にするべきなのに、
平次は心の端で、この笑顔では無いと、妙に冷静に考えていた。
「長い付き合いやで、あんたの様子見とったらわかるわ。」
笑え。
そう命令しているのは、平次だけでは無い様だった。
下を向いたままそう言って、何とか笑おうと必死の和葉がいる。
お前にはかなわんな。
笑ってそう返そうとしたが、平次も上手く笑顔が作れなくて言葉を飲み込んだ。
「工藤君、大変なんやろ。」
黙ったままの平次に、和葉が言葉を続ける。
「ああ。」
「ちゃんと助けたり、半端な真似したら西の名探偵の名が泣くで。」
「・・・・・・止めへんのか。」
真っ直ぐに平次を見たのは最初だけ、
後はずっと、下を向いたまま、何かの本を読む様に、
台詞の様に言葉を発する幼なじみに何故か苛立って、
平次は思わずそんな言葉をつぶやいていた。
言ってから、自分がひどく卑怯な人間だと思い知る。
「・・・っ!!」
平次の言葉を聞いて、和葉が面を上げる。
「止める訳ないやろ!! 何も言わんと、人の家の前も素通りして行く様な薄情もん、
止めたりせぇへん!!」
一息にそう言って、和葉は再びうつむいた。
真面目に怒った後はいつも・・・。
先程の考えが平次の頭をよぎる。
本当に、これで何度目になるのだろう。
「・・・泣くなや。」
「泣いとらんわ!! あんたの為になんか、絶対泣かへん!!」
目の淵に熱い物を感じながら、和葉は唇をかみしめる。
どうしてこんなに弱い女なのだろう、
どうして笑って送り出せないのだろう、
どうして平気なフリが出来ないのだろう、
男が決めた事を、陳腐な台詞や涙で邪魔する様な、
そんな馬鹿な女にだけはなりたくなかったのに。
ただ笑顔で送り出したかっただけなのに。
こんな事なら声などかけなければ良かった。
黙って背中を見送って、部屋で一人で泣いていれば良かった。
どのみちこの男は前へ進む。
自分の事など気にせずに前へ進む。
そんな平次だから好きで、そんな平次だから辛かった。
「ほんなら、笑っとけや。」
ガラにも無く、涙をぬぐってやろうとのばしかけた手を止め、平次は静かに言葉を告げた。
触れたらどうなるかわからない。
すべては帰ってから。
何するつもりやねん。
そう心の中で自分にツッコミを入れ、
戸惑う瞳で自分を見上げる和葉を見下ろす。
ひどく頼りなげなその表情に、決心がグラつきそうになるのを必死で止めた。
「俺の為になんか、泣かんでええから、笑っとけや。
お前のそんな顔、俺かて見とうない。
せやから黙って行くつもりやったのに・・・。顔見せたなら笑とけ。」
珍しく白状めいた言葉を口にするが、
最後だから、なんて間違っても思わない。
そう思っていたらこんなものでは済まさない。
「・・・何やのそれ、えらい勝手やわ。」
力無く顔がほころぶ。あと一歩。
キミノエガオデボクハイクラデモガンバレルンダヨ。
キミニハワラッタカオガイチバンサハハハ。
キミノエガオガナニヨリダイスキ。
気の利いた台詞を言おうにも、
浮かぶ言葉はどれも陳腐としか思えず、何故か標準語で、余計に胡散臭い。
別の意味で笑われるわ。それどころかまた怒られるっちゅーねん。
「・・・・・・。」
苦悩を表情に表しながら、ボリボリと頭をかく平次を、
不思議そうな表情で和葉は見上げ、
次の瞬間には優しく目を細めた。
「しゃあないなぁ・・・。」
夜の闇に、笑顔が浮かぶ。
柔らかな、包み込む様な、癒す様な、優しい光りを宿して。
この顔だ。
しっかりと胸に刻みつける。
しかし、その表情に吸い込まれる様に、無意識に手をのばしかけてしまって、
平次は寸での所で先程の誓いを思い出した。
しかし、何度も出した手を引っ込めるのも挙動不審なので、
彼はそのまま、和葉の髪を束ねる赤い布地をつかみ、
不器用に引っ張ると、そのままそれを手中に収めた。
皮膚にも髪にも触れる事は無く、ただ布の感触だけが手中にある。
「・・・何やの?」
いましめを解かれ、はらりと音をたてる様に流れた、美しい黒髪の持ち主は呆然としている。
自分の行為も、普段見慣れて無い、そんな幼なじみを見てしまった事も、
二重に失敗したと考え、平次は慌てて荷物をつかみ、きびすを返した。東へ。
「・・・お守りにでも入れといたるわ。」
冷えていたはずの頬が、いつの間にか熱い。
柄にも無い言葉のせいで、その温度は更に増した。
それは彼の幼なじみも同様で、
離れていく背中を、頬や胸を熱くしながら見つめ、
「・・・ほ、ほんなら、御利益バッチリなんやから、
無事に帰ってこんと承知せぇへんで!!」
と、慌てて声を張り上げた。
その言葉に答える様に、彼女の幼なじみは黙って片手を上げて見せる。
「ほんまに・・・。」
ふいに眉が下がりかけたが、辛い事は考えない。
笑ってなければいけないから。
自分の為に、彼の為に。
月光の下、東を目指す少年の背中を見送りながら、
和葉はもう一度笑ってみせた。
彼が心に刻みつけた、心からの笑顔で。
終わり
初の平和創作・・・にも関わらず、勝手に本編ラスト近く予想という、身の程知らずな一品。
いや、コナンが東京で組織と全面対決、その時平次は!? みたいな。
和葉は平次の様子とか電話とかから、「工藤君」が大変だと思ってるんだけどね。
まぁ、実際そうなったとしても、
二人揃って、明るくギャアギャア言いながら行ったりしそうだけど、
どうもあたしの書く平和は暗い・・・勝手にしっとりさせてしまいました。
ウチの平次は、言動は淡泊だけど、心の中では和葉の事を・・・
って感じで、原作の鈍感平次を深読みしてなんぼ、って事で頑張っております。
和葉も、平次を想っているのに、今一歩踏み出せない、そんな感じを目指して・・・。
でもこの創作の二人は、あたしの書く物にしては割とはっきりした二人・・・。
これでか!! って事で、先が思いやられますが・・・。
思えば平和創作第一段であると共に、大阪弁初挑戦創作でもあるのよね。
日記を御覧の方には、あたしの大阪弁レベルはバレバレかと思いますが、
この創作も、台詞が少ない割には胡散臭い所が多々あり・・・
これまた先が思いやられますな〜。
でも、「〜ちゅーねん。」みたいな、ベタベタな感じは、
何というか、味わいとして・・・きちんと把握してないのに、味なんか出るんかいあたし。
二人の家は、そう近くもねぇんじゃねぇか?
ってな事が、最近原作から読みとれましたが、
車は仕事場から直接来たから乗っていて、
話があったから大通りを回って遠回りしたんだよ親父達は!!
と、何か家を近くにしたいのかこじつけてみたり。
まぁ、スープの冷めない距離(古。)・・・って事で・・・ウチでは(便利な言葉。)。
しかし、平次にリボンを取られてはらりと流れる和葉の髪ですが、
リボンだけでポニーテールが結えるものなのか、
不器用なあたしにはまったく想像がつきませんや・・・。
ま、マンガだしな!! と、言っちゃあいけない言葉を口にしてみたりして。