不機嫌特急 1


        電車の動きは緩やかで、人気も少なく、窓から差し込む午後の日差しも柔らかい。
        運行状況は快適だったが、
        点在する乗客の内、シルバーシートでは一人の老人が痛風の為か、
        気難しそうに顔をしかめてあちこちの間接をさすっているのが見えたし、
        前の席では五歳くらいの少年が、目当てのお菓子を買って貰えなかったと、
        先程から母親相手にぐずっている。
        そして、空調に揺れる派手な色彩の雑誌広告には、
        不祥事や環境汚染に対する、消費者団体や地方自治体の怒りを訴える、大仰なゴシック文字。
        それぞれがそれぞれに、気分の向上を妨げる様な事情を抱えている様だが、
        老人の痛風に対しては、然るべき医療機関か温泉が、
        ぐずる子供に対しては、しつけに厳しそうなその母親が、
        消費者団体や地方自治体に対しては、相手側か、メディア媒体か、もしくは世間が、
        何とかしてくれる事だろう。
        そう考えている間にも子供は母親に一喝され、不平を漏らしていた口をぴたりとつぐんだ。
        そんな訳で、

        自分が今、何とかしなければならないのは、真横の男である。


        悟られぬ様にちらりと隣りを盗み見れば、
        大阪府警本部長である実の父親に、猪突猛進なその性格を利用され、囮に使われるという、
        何とも稀有な体験を経た高校生探偵は、
        つい先程見送った、東京の小さな少年の口からその事実を聞かされ、
        苦虫を千匹は噛み潰した様な顔で手すりに肘をつき、空中を睨んでいる。
        ・・・相当怒っとるな・・・。
        服部平次は、真剣に取り組んでいる物事に関しては、存外にプライドが高い。
        剣道然り、探偵然りだ。
        そして、そのプライドを逆撫でしたのが、
        普段から何かとやり込められている父親とくれば、その怒りは相当なものだろう。
        気持ちはわかるのだが、諭さなければと思ってしまうあたり、
        長年、お姉さん役を務めて来たが故の哀しき習性だろうか。
        焼け石に水と思いつつも和葉は、
        「なぁ平次、その、おっちゃんかて仕事なんやし・・・。」
        と、取りなす様な笑顔を浮かべ、遠慮がちに口を開いたが、
        ぴくりとその言葉に反応した平次が、更に眉間のシワを深めるのを見て、
        焼け石に水ならぬ、火に油だと悟ったが、重ねて言うならば、後の祭りである。
        「・・・ほーお、仕事やったら、可愛い息子どつくんも、危険な現場に潜入させるんも、
        わざと犯人黙っとくんも有りか、有りなんか。」
        まるで用意していた様な、すらすらとした反論に、
        誰がいつ可愛かったんやとか、
        思惑通りに突っ走る性格にも問題あるんとちゃうのとか、
        おっちゃんがきちんと話してくれたとして聞く耳あったん? とか、
        和葉にもそれなりの返しは出来たが、
        激高ではない、妙に淡々とした言葉に逆に気圧されて、押し黙る。
        「はん・・・どうせお前は親父らの味方やしな。」
        親父ら、というのは、同業である和葉の父親にもかかった言葉なのだろう。
        事実、和葉の父親も平蔵の内情は知る所であったのだが。
        黙り込む和葉に、これ以上畳み掛けるのも大人気ないと感じたのか、
        平次は面白くなさそうにそんなつぶやきを漏らすとそっぽを向いてしまったが、
        その態度はどう考えても、子供じみたものだった。
        「・・・・・・。」
        ぽかんとしながら、そんな平次の様子を目に映す。
        「・・・平次、あたしに味方して欲しいん?」
        ふてくされた様な物言いに、思わず頭に浮かんだ率直な疑問を口にしたが、
        「ばっ!! 何言うとんねん!! アホちゃうかお前!! アホ!!」
        「・・・・・・。」
        何もそこまで、という様な否定を返され、今度は和葉の眉間にシワが寄る。
        今回の件に関して、どちらの味方とか、それこそ子供じみた事を考えた訳ではないが、
        平蔵の采配が間違っていたとは思わないし、
        実の息子を利用した点については、
        まぁ平次は気づく由もないだろうが、
        何だかんだで彼の事を大切に思っている母親の手により、
        何らかの制裁が下されるであろうと予想している。
        だから少し、平蔵を庇護する様な形になってはしまったが、
        いつも隣りにいたいと考えている人間に、それはあんまりな言葉と態度ではないだろうか。
        悔しいから、犯人がわかった時のいつもの表情や、
        直情径行とはいえ、現場に向かう時の様子が格好良かった事などは、黙っている事にする。

        まぁ、いつもの事と言えば、いつもの事なのだが。