貴方へと続く夜 2
「はい、服部でございます。
ああ・・・はい、大丈夫ですよ。和葉ちゃん来てくれましたし。」
服部家では、広い家屋である事と、職業柄、
電話機はすぐに取れるよう、あらゆる所に子機が点在している。
台所にも、もちろんそれは備え付けてあり、静華が応対するのを、
和葉は料理の手を止めて見守っていた。
静華の言葉から、電話の相手が平蔵だと言う事がわかり、
今までの会話が会話だっただけに、
突如鳴り響いた電子音に感じた不安が、取り越し苦労だった事を悟り、
和葉はこっそりと胸をなで下ろした。
しかし、次の瞬間、静華の口にした言葉により、その胸は急速に波打つ事になる。
「え? まだ帰ってませんけど・・・先に帰したんですか?」
「・・・・・・。」
もしかしなくても、それは平次の事だろう、
不安を感じる会話に、和葉は黙って電話口の静華を見守った。
「はい・・・はい・・・わかりました、何かあったら連絡して下さい。」
しばしのやり取りの後、短い挨拶をして、静華が電話を切る。
「何かあったん?」
間髪入れず、和葉は眉をひそめて静華に尋ねた。
「ん・・・平次なんやけどな、風邪の事もあるし、
うちの人がだいぶ前に帰らせたらしいんやけど、まだ帰ってへんしなぁ。
携帯も繋がらんみたいなんよ。」
苦笑いを浮かべ、静華はつとめて明るく、平蔵からの電話の内容を説明した。
「・・・そんで?」
「そんでって・・・それだけやよ?
まぁ、単車で行かんかったから、駅で寄り道でもしとるんやろ。
帰って来たら二人でとっちめたらなあかんな?」
「・・・・・・おばちゃん、話して?」
静華は手札はすべて見せたと言うように、あっけらかんとそう答えたが、
和葉は不安な表情を浮かべたまま、なおも静華に問いかけた。
服部家とは物心つく前からの付き合いだ。
風邪を引いた息子が無事に家に着いたか、
確かに心配の部類に入らない事柄では無いが、
勤務中に携帯や自宅に電話をかけてまでそれを確認する程、
大阪府警本部長が甘くない事を和葉はよく知っている。
つまりは、あったのだ。
そうせざるを得ない、何かが。
「・・・和葉ちゃんにはかなわんなぁ。」
真っ直ぐな瞳で自分を見つめる和葉に、ため息まじりにそう答え、
静華は瞳を優しく細めた。
「・・・平次を帰らせた後、
現場近くを凶器を持った強盗犯が逃走中ゆう連絡が入ったらしゅうてな、
それはうちの人の管轄やないし、あのアホ息子がそれに首突っ込んどらんか、
うちの人はそれを考えて連絡して来たんよ。」
「・・・そう・・・。」
事の真相を告げる静華の言葉に、和葉はゆっくりと答えを返したが、
言葉に反して、その心臓は否応無しに速度を増していく。
平蔵の管轄、管轄外に関わらず、
事件と聞けば何を置いても首を突っ込んでしまう平次の事である。
連絡を受けた平蔵が、そんな事を考えたとしても、考えすぎという事は無いだろう。
静華も和葉も、その危惧を一笑にふす事が出来なかったのが何よりの証拠だ。
「でもまぁ、さっきも言うた通り、じきに帰って来るから、心配せんと待っとき。な?」
「・・・おばちゃん、ごめんな。」
「え?」
やはり明るくそう言って、ぽんぽんと元気づける様に和葉の肩を叩く静華に、
和葉がそんな言葉を返したが、前後関係の見えない謝罪に、静華は首を傾げた。
「あたしが心配する思て黙っててくれたのに、無理に聞き出す様な事して・・・。
おばちゃんかて心配やのに・・・。」
「・・・・・・。」
それを言うなら和葉こそだと考え、静華は慈愛の笑みを漏らした。
今この瞬間において、何よりも平次が心配なはずなのに、
自分の言動を詫びて、静華の気持ちを考慮する、
そんな和葉の気持ちが愛しかった。
「ええんよ。和葉ちゃんみたいなええ子があんなアホ息子の心配してくれて、
おばちゃん嬉しいわ。」
正直、平蔵にしろ、自分にしろ、年の功や肝の据わりも手伝って、
今回の息子への心配はいつもと変わらず、
「人様に迷惑をかけまいか」程度のものである。
それよりも毎回、平次に何かある度に、
実の親以上に心配や迷惑をかけている和葉を気遣う気持ちの方が上回ると言っても過言では無い。
そもそもが、和葉に必要以上の心配を引き起こさせる程に、
危ない目に遭い過ぎるのだ、あのアホ息子は。
「・・・あんな、おばちゃん。」
「・・・コートはちゃんと着て、マフラーもして、電話も持って行かなあかんよ?」
試しに平次の携帯に電話をかけてみたが、
静華の言う通り、機械的な音声だけが繋がらない事実を告げる。
ややあって、考えた事を口に出そうとした和葉は、
先んじて放たれた静華の言葉に、口を開いて絶句した。
ポカンとした顔で自分を見つめる和葉に、静華は形の良い眉を下げて苦笑いを返す。
「探しに行ってくれるんやろ? うちのアホ息子。
止めても聞かんのはわかっとるし、何の準備もせずに抜け出されるよりはええわ。」
「・・・堪忍。」
すべて悟った静華の言葉に、和葉はバツの悪そうな表情で詫びた。
確かに、ここで静華に止められても、自分は何らかの方法で服部家から抜け出すだろう。
その事に精一杯で、コートや携帯に手が回らない事も目に見えてる。
それらすべてを見越した上で、自分を送り出そうとしてくれる静華の気持ちには、
ただただ頭が下がる思いだった。
「でも気ぃつけてな? 和葉ちゃんに何かあったら、遠山さんに申し訳が立たんわ。」
時間としては二十一時少し前と、そう遅い時間でも無かったが、
それでも和葉は懇意にしている知り合いの娘、
という言葉だけでは括れない程に、静華にとっては大事な少女である。
素早くコートとマフラーを身につけ、携帯をポケットにしまい込む和葉を玄関先まで見送り、
念を押す様にそう声をかけた。
「うん、おばちゃんおおきに・・・。何かあったら連絡するから。」
慌ただしくそう言い残して、和葉は玄関から門までの道を駆け出した。
今は静華の目があるので、その速度はさしたるものでは無かったが、
門を抜ければ、その速度は更に増す事だろう。
「平次・・・ニクイわぁ。」
闇夜に揺らめくポニーテールのリボンを見送りながら、
服部静華は、かの息子に対して、そんな一言をポツリと漏らした。