雨音は変わらず 1


        普段は狭いと感じる町なのに、人一人探すとなると容易ではなく、
        雨まで振り出した時には思わず舌をはじいた。
        そもそも何故、こんなに焦らなければならないのかがわからない。


        二箇所目の心当たりで見つけた探し人は、
        突然現れた自分に驚いて目を見開いている。
        近づきながら全速力の言い訳を考えたが、
        思ったより乱れてない呼吸に、すべては雨のせいだと言う様に、
        雨粒を吸い込まずに乗せるばかりの学生服の肩口を軽くはらい、
        閉じた社務所の軒下で雨宿りをするその姿に立ち並ぶ。
        昼下がりとは言え、雨の降り出した神社の境内に他に人はなく、
        森の様に周囲を覆う春の樹木が、静かな雨により、色を深める音だけが辺りを包んでいる。
        学生鞄に触れたトタンの雨戸が、ぺこんと間抜けな音を立てた。
        「平次・・・どないしたん? 皆は・・・。」
        現れるはずがないと思っていたのだろう、
        いまだ目を見開いたまま自分を見上げ、和葉が戸惑った声を上げる。
        皆、と言う言葉に焦りの理由を裏打ちされ、平次は息を吐き出した。


        改方学園に入学して数日、
        新入生の中に関西で名を広めつつある少年探偵がいるという噂は、
        あっと言う間に校内を駆け巡ったらしく、
        入学式当日から何人かの生徒に質問を受ける事はあったが、
        新聞記事の切り抜き持参の上級生の女生徒の団体という、
        目立つ一群のの来訪を皮切りにしてか、
        今日の放課後はとうとう、教室があふれ返る様な事態へと発展してしまった。
        取り締まる側の教師までもが輪に加わり、
        何やかやと質問をして来るのだから始末に負えない。

        ここまでの騒ぎはなかったものの、
        事件解決の後などは、幾重もの輪に囲まれる事は珍しくはなかったし、
        元来のお調子者気質を表面に、気分良く相手をしつつ、
        こんな騒ぎも一時と、さばけた感情も持ち合わせている平次だったが、
        ただただ調子に乗るばかりと感じるのか、
        そんな彼に対して釘を刺す人間が傍らには常に存在している。
        今回も、同じ高校の同じ学級となったその相手にどう応戦しようか、
        苦笑いを浮かべつつ待機していたのだが、
        気づけばその姿は傍らどころか教室のどこにも見当たらず、
        ふいに落ち着きをなくす気持ちを抱えあぐねる様に、
        気がつけば平次は、自分を囲む輪の中から抜け出していた。


        隣りにいるのが日常ではあっても絶対ではない。
        何故かと問いただせる約束がある訳ではないのだから、
        用事や気まぐれという返答を思い浮かべて、それで納得すべきなのだろう。
        けれど何故か今日は気になって、
        心当たりを巡って、雨に濡れながら、呼吸を整えながら、
        和葉の隣りに並ぶ自分がいる。

        そうして、和葉が遠慮がちに出した「皆」という言葉に、
        見知らぬ人間が今まで以上に押し寄せたあの状況が、
        和葉に何らかの距離を感じさせてしまった事をおもんばかる。

        「・・・他の奴は寄って来んのに、お前は離れるんやな。」

        気がつけば随分と核心に触れた事を言っていた。
        和葉の瞳が先程以上に見開かれる。

        「なに・・・言うとんの・・・。」
        途切れ途切れの言葉は、否定すべきか茶化すべきか、手札を探っている。
        しかし、思った以上に真摯な平次の瞳に当たると、
        和葉は言葉を飲み込み、眉を下げて小さく微笑した。
        「確かに・・・今日はちょお驚いてしもたけど、別に離れたりせぇへんよ、
        あんたみたいなお調子者、放っておいたら大変やもん。」
        「はん・・・。」
        段々といつもの調子を取り戻しながら話す和葉の、
        離れないという言葉には安堵したが、
        どうにも後半の言葉はいつもの弟扱いに繋がっている様な気がする。
        手の内を見せる様な言葉を発してしまった身としては肩すかしを食らった気分だが、
        その心のままに不満げなつぶやきが口から漏れ、
        しまったと思うと同時に、この詰めの甘さでは弟扱いも仕方ないと自責する。
        そんな平次の葛藤を知ってか知らずか、和葉はその笑みを深めると、
        「・・・それに、有名になっても、色んな人に囲まれても、平次は平次やろ?
        多少調子に乗る事はあっても、変に変わったりせぇへんやろ?
        そのまま・・・平次が変わらんのやったら、あたしも変わらんよ。」
        もう一度、確認する様に、真っ直ぐな瞳でそう告げた。
        「・・・はん、お前はもうちょい女らしゅう、変化した方がええんとちゃうか?」
        「何やてぇ!? もう、人が真面目言うとんのに・・・。」
        茶化した様に鼻で笑う平次に、和葉が柳眉を吊り上げ、憤慨を露わにする。
        わかっている。だからこその照れ隠しだ。
        自分に対する和葉の評価を、
        理解と呼ぶのか、過大評価と呼ぶのかははわからない。
        だが、願わくばその評価を違えぬまま、この位置を守って行きたい。
        軽口とは裏腹の決意が、胸の奥で静かに鳴った。